熊野根本である神倉神社の神様を勧請
蒲郡市役所近くの住宅街にあり、公民館と公園が隣接、近所の子供たちの遊び場となっている。
境内には「蒲郡の名木50選」に選ばれた、樹高16.6mのクロガネモチの大木があり、小さな神社ではあるが清々しいエネルギ-を感じる場所である。
この神社は実家から歩いて2分くらいのところにあり、隣の神倉公園で子供の時よく遊びました。
名前から何となく熊野と関係があるんだろうと思っていましたが、いつからこの神社がここにあるのかよくわかりません。機会があったらまた詳しく調べてみたいと思います。
ご由緒
元宮の紀伊熊野(新宮市)速玉大社摂社神倉神社は、神倉山に在す神社で「ゴトビキ岩」を御神体とする自然崇拝を根源とした原始的な古い祭祀形態を今日に伝えている。
吉光神倉神社のご祭神は高倉下命、命は皇孫頊々杵尊(ニニギノミコト)の御兄君饒速日命(ニギハヤヒノミコト・天照大神の皇孫)高天原に於いて天道日女命(アマノミチヒメノミコト)を妃として生み給ったとあります。
高倉下命は天照大神の曾孫なり。(石碑に記してある文字そのまま)
鵜殿
別の話ですが、実家のお墓があるお寺に「鵜殿又三郎長存」と記された大きなお墓があり、行くたびにいつも気になっていました。
鵜殿という名前からやはり熊野に関係あるのかと調べてみましたところ、昔新宮からやってきた鵜殿氏が蒲郡を治めていたということがわかりました。
下記のサイトに鵜殿氏のことが記されています。
武家家伝_鵜殿氏
(中島明日香さん)
番外編 No.32
(てつによる追記)
鵜殿(現・三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿)に住んでいた熊野別当新宮家の者が鎌倉時代に当地に移住し、その子孫が江戸時代後期に神倉神社の神様を勧請したと伝えられます。
社伝に、新宮別当の子、頼朝に取り立てられ、三洲西ノ郷を領す。初め新宮の内鵜殿に住んだ故に鵜殿と名乗る。宇殿長持の祖なり。長持の弟八郎三郎、下ノ郷城主となり、熊野三社の内第二の新宮神の蔵権現を守護神として、安永二年(一七七三)今の東島に勧請した。
神倉神社は熊野の神様が熊野において最初に降臨した聖地。熊野の根本です。熊野根本神蔵権現などと呼ばれました。
2011.11.3 UP
2021.6.4 更新