村が疫病に苦しんだときに勧請したと伝わる熊野神社
この熊野社は、同じ木曽川町にある「籠守勝手神社」の関係神社?に位置づけられており、毎年10月23日に最も近い日曜日に「景雲祭」(通称:御神輿巡行、名称は開始された年号という)が挙行されています。
御神輿は、「籠守勝手神社」を出発し、町内巡行の途次、お昼を熊野社で摂られるという。
午後は、また町内を巡行し、夕刻「籠守勝手神社」に帰着、終了です。
参加者は、厄年の男子が中心になります。天狗は、猿田彦と聞きました。
地元の方にいただた「籠守勝手神社概要」によりますと、
名称
熊野社
住所
一宮市木曽川町黒田字錦里24番地
御祭神
伊邪邦岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪邦美大神(いざなみのおおかみ)
創建
西暦700年以前と推察される。
縁起
三十戸位の村で疫病に苦しみ勧請したと云われている。
言い伝えによると、病魔に冒された時、祭神に念願すると霊験釈然として平癒し、境内の巨霊石に触れると瘧(おこり)をふるうという。
また、周囲の熊笹を家の蟻防止に提供すると蟻道を断つと云われ、養蚕が盛んなるし頃、蟻防止に役立ったと伝えられている。
御祭神は、熊野本宮大社の御祭神の中の伊邪邦岐大神・伊邪邦美大神の二大神のみを勧請されたもよう。
なお、籠守勝手神社の宮司が熊野社の祭祀を護持するに至った事情は不明とのこと。
この熊野社は、旧名岐国道(国道旧22号線、名古屋岐阜線)を少し集落に入った場所にあります。
たまたま、昨年、地元木曽川の方に呼びかけられ、「鎌倉街道」のマップ作りに参加したことで、発見した神社です。
境内38坪、建坪約1坪のかわいい神社です。
籠守勝手神社
親元にあたる「籠守勝手神社」(おこまりかってじんじゃ)は、地元に言い伝えによると、紀元1104年(西暦444年)、21代雄略天皇に弾圧された市邊押盤皇子(いちべおしば)の皇子、億計王(おけおう)<第24代仁賢天皇>、弘計王(をけおう)<第23代顕宗天皇>の2皇子が一宮の真清田神社に難を逃れる途中、夜半になり、「籠守勝手神社」に籠を停め、一夜を明かした。
その日は、8月15日の満月で里人から里芋の饗応を受けられた。
2皇子は、大層、喜ばれ、その礼に芋の葉に夜露を集め、黒田明神に奉納され、そのあと、真清田神社に向かわれたという。・・・
二皇子の人形です。陰暦8月15日開催される御籠祭(芋名月)の主役です。
一宮市木曽川町は、来年のNHK大河ドラマ「功名が辻」の主役である山内一豊の生誕地と伝えられています(他に、隣接の岩倉市とも云われていますが)。
先日も、NHKの松平アナによる講演会も開催されました。
山内一豊父子(長兄、一豊は次男です)の墓。右が父の盛豊です。
(河合さん)
No.467
2005.10.23 UP
2021.7.1 更新