専志坊なる紀伊の人が建立
愛知県の中央に位置する刈谷市では、例年5月3日に江戸時代から続くとされる「大名行列・山車祭」が行われています。
この祭は、パンフレットによると、市原稲荷神社の祭礼として行われていたもので、10万石の格式を持つ「秋田出来守」という架空の殿様や古式豊かな所作を披露する「奴のねり」、於大の方(徳川家康の生母)役が市内中心部を練る歩くものです。
午前中、鎌倉街道の探索を行い、祭り見物のため刈谷市に移動し、パレードの出発点から最終会場の市原稲荷神社に行く途中、立派な杜を発見し、地元の人に尋ねると「熊野神社」と聞き、やや疲れた足取りであるが、事前の予定でもあり、回り道をしながら、参拝することができました。
左下の玉垣の間に刈谷市の花「カキツバタ」が咲いています。
社前に赴くと、境内が小山のようになっており、杜が更に立派に見え、疲れも軽減されました。
なお、刈谷城は先ほど、触れた家康の生母、於大の方の生誕地で、岡崎に嫁ぎ、家康誕生後、政争のため離縁され、戻った実家です。
また近世では、トヨタグループの発祥の地であり、豊田佐吉が始めた紡績会社が近接地にあり、中核の豊田自動織機の本社も刈谷市内にあります。
祭神
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと),速玉乃男尊(はやたまのおみこ),事解乃男尊(ことかののおみこ)
御由緒
境内に設置されている「熊野神社由緒記」より。
創立は詳かでないが、当村(旧熊村)は、古来から産土神として祀っていた。
口伝によると、紀伊の人専志坊熊野二社大権現三尊佛を奉持し、一宇を建立し、その後、真宗に転宗の中、熊野堂に祀られ、明治維新時の神仏混淆の廃止に伴い(藩主であった)土井候の斡旋により神仏分離され、今に至ったものである。
本社は元来、刈谷城の東北にあり、鬼門除けの神様として藩主に尊崇され、本殿も寄進されたものという。
境内面積
2525.6平方メートル(746坪)
(河合さん)
No.701
2007.5.26 UP
2021.6.29 更新