旧愛知郡長久手町大字熊張字入之洞2332番
当社は、名古屋市の東部に位置し、南に2005年愛知万博記念公園があり、西には古に豊臣秀吉軍と徳川家康が戦った長久手古戦場がある丘陵地にあります。
神社は大草村集落の中心にあり、曹同宗永見寺と熊野社の入口が並んでいます。
地元の人から話を聞くことができませんでしたが、明治時代初期の改称という歴史から神仏分離騒動を思い浮かべました。
市道傍にある熊野社の社標。左斜めにある小道の先の緑の小山が熊野社と永見寺です。
この社標がないと奥の神社を見つけることは困難です。
神社とお寺の入口が並んでいます。
本殿です。石垣の上に塀がめぐらされ厳粛な雰囲気です。
ただし大きな鍵が目立ちすぎますね。
御祭神
不明
御由緒
長久手町史(本文編、平成15年発行)によると当社は、寛文(1661~1672)覚書には八幡社であったが、尾張徇行記(1812頃)に二ヶ所とあり、明治10年(1887)10月9日願済で、熊野社と改称された、としている。
(河合さん)
No.987
2009.6.25 UP
2022.2.23 更新
参考文献
- 『長久手町史』