源満国による勧請と伝わる熊野神社
当社鎮座地は、幡豆郡の海岸線を走る県道が西尾市内に入り最初の交差点の西側にあたる。
地方でも交差点周辺では駐車が不可能であるため、直前に大きな大仏が見えた常福寺に車を止め、周囲を一周した結果、お寺の西側に熊野神社の社標を見つけ、参拝できた。
境内の周囲に大きな松などがあるが全体は広場となっていた。公民館も併設されており、地域活動の場として活用されていた。
生活道路に面した社標です。
鳥居から見た拝殿・本殿です。左手に公民館があります。
草がなく、良く管理されています。
御祭神
伊邪那美神 速玉之男神 事解之男神 天照大御神 豊宇気昆売神
御由緒
社伝に長徳年間(995~8)、源経基の孫遠江守源満国が違勅の罪によって、この地に配流、刈宿村に住み、本社を創建する。
家来の加藤仙二郎行信、倉内左ェ門大輔貞道の子孫たち、この地に住みつき鎮守の神として祀る。
(愛知県神社名鑑)
(河合さん)
No.1068
(てつによる追記)
源満国(みなもとのみつくに)は、平安時代中期の武士。以下、Wikipediaより。
詳しい事績は不明であるが、永延元年(987年)頃、摂津国能勢郡宿野に撰見の館(えみのやかた)を築き居住したとされる。また遠江守在任時であった長徳年間(995年 - 998年)頃、勅命に背いたとして三河国に配流され、同国刈宿(現在の愛知県西尾市刈宿)の地に亡き母の菩提を弔うための寺院のほか神社を建立したと伝えられる(現在の常福寺および熊野神社)。
嫡子・為満は源頼信(満国の従兄弟)の娘を娶り河内源氏と姻戚関係を結んだ。
2009.9.13 UP
2022.2.24 更新
参考文献
- 『愛知県神社名鑑』