熊野に逃れ住んだ平家の落人の末裔が勧請
御祭神 事解男命 速玉男命 伊弉册命
社伝に平家、文治3年(1187)壇ノ浦に亡ぶ。
一門紀州熊野に逃れ住い、嘉禄元年(1225)源家も滅び、平家の落人名を変えて故郷に帰る。
鈴木惣左エ門の祖先も紀伊より出て、伊勢から三河大浜(碧南市)にて数年居たが、この地に永住、
田畑を開き恩顧の神熊野権現を勧請し守護神とする。
慶長年間(1596~614)大久保彦左衛門忠教の領主となり巡視の度、参拝あり。
(愛知県神社名鑑)
なお境内にある由緒社歴の解説には上記の概要に加え、室町時代永享8年(1436)御宝殿建立の棟札があるとしている。
小山を背景とした熊野神社の全景です。道路は、背景の山裾にあります。
当社鎮座地は、岡崎市の東南部にあり、国道一号線から南に約1キロ、
大久保彦左衛門の領地があった幸田町まで3~4キロの場所にあります。
一号線から進入しましたが、山間の入口のため
道路も見通しよく、容易に神社に到達できました。
この後、幸田町に移動しましたが、ヘアピンカーブが連続する山中の道路が、
今にして思えば
落人の末裔である鈴木氏一族が安住の地に選んだ気持ちが理解できました。
熊野神社の扁額がある第二鳥居です。
境内設置の手書きの由緒社歴の解説です。
このような案内版があると参拝者にはありがたいです。
(河合さん)
No.1059
2009.9.6 UP
2020.6.14 更新