江戸時代初期の勧請と伝わる熊野神社
旧海部郡七宝町大字鯰橋字郷廻104
七宝町は名古屋市の西部に位置し南北に長い町です。
神社のある場所は最も南部に位置することから、この参拝のために初めて訪れました。
地名の「鯰橋」のとおり川が周囲にあり、
江戸時代初期の開墾(干拓)前の風情が少し残っていました。
本殿は水の備えで高くしてあります。
海部地区や岐阜県西部では、民家でも、水屋といい、敷地を高くし、洪水時の備えとして食糧庫や船が整備されていました。 この水屋の大型が集落を囲う輪中と呼ばれていました。
御祭神
伊邪那岐命 伊邪那美命
御由緒
元和元年(1615)の頃、幕府直轄の水軍御舟手組の武士が知多郡大野に移住し、その子孫が当地を開墾し居住するに際して、船乗りの最も尊敬する熊野権現及び厳島の弁財天を勧請したものと伝える。
(七宝町史から引用)
(河合さん)
No.925
2009.4.2 UP
2022.2.23 更新
参考文献
- 『七宝町史』