江戸時代初期の勧請と伝わる熊野神社、東薗目の氏神
東栄町まで、昼食休憩時間を切り詰め、約2時間の移動であった。
地図だけでは不安があるため役場に赴き、熊野神社への道を確認する。
この東栄町(及び豊根村)は、国の重要無形民俗文化財である「花祭り」が行われているところです。
しかも
、花祭りの起源は、遠く室町・鎌倉時代に熊野三山及び白山信仰の修験者等によって伝えられています。だから、多くの熊野神社が祭りの会場になっています。
奥三河の参拝の旅は、このような歴史を感じることも楽しみの一つです。
東薗目の熊野神社は、廃校となった小学校と隣接していました。
教室は、志多らというプロの太鼓演奏集団の合宿所と生まり変わり、若い衆数人が練習する太鼓が鳴り響き、神社へと誘導してくらました。
熊野神社の鳥居と階段上の拝殿です。鳥居の根元は昔の校庭の縁です。
拝殿です。
屋根の左に旧校舎の屋根が重なっています。この建物で5人程練習していました。
境内から見た元校庭と旧校舎です。車は太鼓演奏集団「志多ら」の車です。
旧学校入口にある「志多ら」の案内ロゴです。
役場前に掲示されている花祭りの案内です。
クリックすると大きな画像を見ることができます。
御祭神
伊邪諾尊 伊邪册尊
御由緒
創建は元和三丁巳年(1617)11月9日と伝えられる。
宝暦八寅年(1758)6月、社殿を修造する。
天明5乙巳年(1785)12月に修造の棟札が残る。
東薗目の氏神として代々怠りなく奉仕する。
(愛知県神社名鑑)
(河合さん)
No.1119
2009.11.4 UP
2022.3.27 更新
参考文献
- 『愛知県神社名鑑』