平安時代末期に藤原鎌足の子孫が創建したと伝わる
(旧東加茂郡下山村大字野原字宮下25)
当社は、旧下山村役場と旧作手村を連絡する県道から分岐し、設楽町に向かう県道傍にありました。
しかし県道に平面で接した羽布地区と異なり、小山の上にあるため、神社のシンボルである鳥居などが目線に入らなく、迷子状態となる前に少ない人家を探し、尋ねたところ、参道前のお家でした。
県道に面した階段の参道と社標です。
階段の参道と社標の反対側にあったバス停のおしゃれな案内用名盤です。
鳥居前から見た拝殿です。
右には、多賀大明神と金毘羅大権現のお社が安置されていました。
御祭神
伊邪那美命
御由緒
創建は元暦2年(1184)3月という。
大職藤原鎌足の後裔、川合又左衛門実魔政、この地に来たりて要害堅固の地を選び小城を築き近郷を領し、氏の神を祀らんと城内の清地に石の小祠を建て、遠祖速玉男命を祀る。
熊野権現と称し守護神とする。
今の地に遷し、境内・社殿を大改築し、祭神を改め伊邪那美命を奉斎する。
石祠に元暦2年7月と彫刻あり。
(愛知県神社名鑑)
五平餅
昼食代わりに食べた当社の近くにある観光センターの五平もちです。
茶碗二杯分のボリュームで350円です。美味しかったです。
(河合さん)
No.1030
2009.8.8 UP
2021.6.2 更新
参考文献
- 『愛知県神社名鑑』