江戸時代中期に領主鈴木氏が勧請
(旧東加茂郡足助町大字則定字本郷78・80・83ノ1)
当社は、則定小学校の北面に位置し、地図にも表示されており参拝は容易でした。
小学校の前に鈴木正三史跡公園の案内版があるが、熊野社の表示がなく、迷いつつ奥の公園に進むと一画が熊野社であり、参拝することができました。
拝殿の壁には、熊野社歴と題し祭神、縁起などが披露されていました。
なお鈴木正三は、公園に設置された案内版によると江戸時代初期の当地則定城主の長男で、徳川家康に仕え大阪冬・夏の陣に参加した旗本であったが、42歳で出家する。
特異な宗教家、仮名草子の作者として近代日本の礎(もとい)を築いたといわれる思想家とされる。
学校前の公園への案内
高く盛り土された上にある本殿。熊野社の扁額が見えます。
御祭神
伊邪那岐命 伊邪那美命 須佐之男命始め4神
御由緒
社伝に領主鈴木氏は紀州藤代の生まれで、紀州の新宮より寛政の初年(1789)に勧請した。
(愛知県神社名鑑より)
(河合さん)
No.1007
2009.7.15 UP
2021.6.4 更新
参考文献
- 『愛知県神社名鑑』