鳥羽上皇の中宮・待賢門院ゆかりの熊野神社
福岡県八女郡広川町広川の知徳交差点近くにある、 下広川小学校前を通りかかったとき、熊野神社の鳥居を見かけましたので投稿させて頂きます。
地図で確認したところ、下広川小学校グラウンドの東側の山に熊野神社が祀られているようです。
また、鳥居右手の案内板には、知徳城跡と記された案内板が設置されていました。
(瀬音さん)
No.1804
てつによる追記
広川町のHPには、智徳熊野神社(ちとくくまのじんじゃ)の由来譚が記されています。
この参詣記の熊野神社が智徳熊野神社なのか、はっきりわからないのですが(知徳交差点と智徳熊野神社で「ち」の字が違いますし)、おそらくはそうなのだろうと思います。
智徳熊野神社の由来譚のページには以下の記述があります。
もともと広川荘(現在の広川町域を中心とする荘園)は、この寺の寺領だったのです。鳥羽天皇の中宮待賢門院(ちゅうぐうたいけんもんいん)に寄進して領家職になってもらいましたが、待賢門院がそれをそっくり、紀州熊野神社に寄進します。保延四年(1138)のこととされます。
智徳熊野神社は、熊野御幸を12度行った待賢門院ゆかりの熊野神社ということになります。待賢門院は、21度の熊野御幸を行った鳥羽上皇の中宮。
この参詣記の熊野神社が智徳熊野神社でないとしても、広川町にある熊野神社はいずれにしろ待賢門ゆかりの熊野神社ということになりそうです。
2016.3.13 UP
2020.8.21 更新