み熊野ねっと 熊野の深みへ

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熊野神社:福岡県飯塚市立岩1380

大門さんからご投稿いただきました。ありがとうございます。

巨岩を御神体とする熊野神社

熊野神社社殿

JR新飯塚駅から北に歩いて5分ほどの小高い丘の上に鎮座する神社です。
境内には本殿、ご神体の巨岩と宮地嶽神社、恵比須神社、高木神社、天満宮、須賀神社のそれぞれの鳥居と祠があり、自動車も5、6台は止められる広さがあります。

境内の案内板によると、この神社は、昔は、立岩(今の熊野神社のある場所)、柏森(熊野神社から300mほど南東に離れた場所)の二村の産神だったそうです。
神武東征の時に悪鬼が現れ、手力男神が巨岩を投げつけて退治して、その巨岩を祀った事に由来する神社だそうです。
斉明天皇の代(7世紀)に熊崎に移して熊崎祠になり、後に熊野宮になったそうです。

巨岩を祀っているところは熊野との共通点かもしれませんが、熊野のシンボルの八咫烏や三つ巴は、境内や本殿には見られません。

熊野神社参道

歩行者用の参道です。
自動車で境内に入る道が別に作られています。

熊野神社二の鳥居

参道を通って、二つ目の鳥居の前に、幅一メートルほどの小川が流れていて、橋が架かっています。
それを渡った左側に、見づらいですが祠と祭典行事の掲示板があります。

祠の中には、十一面観音菩薩の石像が安置されています。
その上の段の、二つ目の鳥居と同じ高さの所には、猿田彦とか庚申とかの文字が刻まれた石が何個か並べられています。

石段を登って境内に入って右に、社務所と「常磐寺小屋跡」の碑があります。神仏習合の名残でしょうか。

熊野神社巨岩

境内に入って左側に、巨岩が祀られています。
案内板にあった、手力男神が投げた巨岩と思われます。
巨岩の上に、祠があります。

熊野神社熊崎祠

巨岩の上の祠の拡大写真です。「熊崎祠」と刻まれています。
元の写真ではさらに拡大できて、祠の中には、金色の文字で「熊崎宮」と書かれたものが祀られています。

熊野神社社殿

本殿の中の拝殿には、「熊野神社」と掲げられています。
本殿の右側に、「立岩別府跡」「立岩神社参道入口」と書かれた碑があります。
そこから奥に進んで、山の中をしばらく歩くと立岩神社があります。
熊野神社の奥の宮でしょうか。

熊野神社のぼり

秋祭の頃には、この様なのぼりが掲げられます。
立岩熊野神社と書かれています。

案内板の内容

御祭神
伊弉諾神 伊弉册神

筑前續風土記ニ曰ク
其昔 立岩、柏森
二村の産神なりし

昔は伊弉諾神 伊弉册神 手力男神
 大己貴神 少彦名神

以上 立岩権現 五神三座を祀る

 

社記ニ曰ク神武天皇御東征の砌り
雷雨俄に起り山嶽鳴動天地咫尺を辨ぜず

時に巨岩疾風の如く飛来して此の山頂に落下す
其状恰も屏風を立てたるが如し

雷光赫々の中
岩上に神現れて曰く
我ワ天之岩戸神名を手力男神と言う

此の処に自ら住める悪鬼あり
其状熊に似て熊に非ず蜘蛛に似て左に非ず

手足八ツありて神通力自在
空中を飛行して其妙術は風を起し雨を降らす

彼今怪力を恃みて恣に天皇を惑はさんとす
最も憎む可きなり

我巨岩を擲て其賊を誅す

 

自今吾が和魂は此の岩上に留って
筑紫の守護神たらん

又荒魂は天皇の御前に立ちて
玉體を守護すべきなりと

爰天皇駒主命として厚く祭らせ給う

 

三十六代清和天皇の御宇
大己貴神 少彦名神を別殿に
斎き奉りて遷宮大明神と号す

三十七代斉明天皇の御代諾册二神を
今の熊崎に移し奉る
熊崎祠後熊野宮と言う

 

宇佐神宮大宮司到津公髙立岩別符入符
以来祭政を司る

敬白

昭和五十年十月吉日
宮司 時枝 満定
寄贈 花村 禧子

(大門さん)

No.1650

2012.11.23 UP
2020.1.30 更新

参考文献



福岡県飯塚市立岩

読み方:ふくおかけん いいづかし たていわ

郵便番号:〒820-0003

飯塚市HP

飯塚市 - Wikipedia
飯塚市(いいづかし)は福岡県中部に位置する市である。筑豊を構成する自治体であり、筑豊三都の一つ。筑豊で最大の人口を擁し、筑豊の政治・経済の中心機能を持つ都市である。旧嘉穂郡。 飯塚都市圏の中心都市であり、筑豊地方、嘉飯山地区の中心都市でもある。 2006年3月26日に頴田町・庄内町・穂波町・筑穂町と対等合併し、新市制による飯塚市となった。これにより、福岡県の中では、福岡市、北九州市、久留米市に次いで4番目の人口規模の市となった。