「藪神様」とも呼ばれる熊野神社
【熊野神社の由来】
熊野神社は、紀伊国「今の和歌山県」熊野三所権現から分神し、この地に鎮座して238年の歴史を刻んできました。
今でも地元の産土神として祀られ、正月には多くの参拝者が訪れ祈願をしています。
【熊野神社の由緒】
・安永3年4月(1774年) 御宝殿建立
・明治45年5月(1912年) 御宝殿再建立
・昭和27年(1952年) 本殿改修工事及び御遷宮、御神幸行列
・平成21年11月(2009年) 本殿改修工事及び御遷宮、御神幸行列、稚児行列、式典
熊野神社「神殿」
【熊野神社の御祭神】
・伊邪那岐神(イザナギノカミ)
・伊邪那美神(イザナミノカミ) 「家庭円満、良縁成就、益々繁栄」
・速玉男神(ハヤタマオノカミ) 「漲る生命力をつかさどる神様、健康長寿」
熊野神社「本殿裏門」
熊野神社皇后陛下御祓串目録御由緒記
昭和五年三月建之
大正十一年三月二十一日官幣大社筥崎宮よりの目録
熊野神社祭禮日「のぼり」掲揚
【祭禮日】
・1月1日(歳旦祭) ・2月17日(祈年祭)
・4月26日(春大祭)・7月26日(夏大祭)
・9月26日(例祭) ・10月17日(おくんち)
・11月23日(新嘗祭) 年7回
氏子総代「六座」によって祭典が執り行われています。
熊野神社「拝殿と絵馬」
熊野神社「御神殿」
熊野神社「手水舎」「ナギの木」
【熊野神社環境】
熊野神社「一の鳥居」から「本殿」まで約120mの参道が続いており、57年ぶりの改修工事と御遷宮で本殿はリフレッシュし、広大な境内に熊野神社は鎮座しています。
熊野神社境内には社務所は在りません。元旦には氏子総代「六座」による奉仕を行っており、
拝殿にて「お神酒頂戴」や「御札販売」を受ける事が出来ます。
広大な敷地に樹木が生い茂り「コケ」に映った
光と影のコントラストは情緒的
【熊野神社鳥居】
一の鳥居
二の鳥居
三の鳥居 (奥に拝殿)
四の鳥居(本殿裏 藪に向かって建っている)
【熊野神社の語源】
熊野神社を地元の人は、(境内に榊の木が沢山茂っている事から)「榊の森」と呼んだり、 (熊野は樹木が茂り藪で薄暗い環境だから)「藪神様」とも呼んでいます。
【熊野神社の末社(まっしゃ】
本神社と同一の境内地で祀られている小さな「境内社」の事を摂社とか末社といいます。
熊野神社の参拝は、拝殿で祈願をし右回りで
末社(男)⇒末社(榊の木)⇒本殿裏門⇒末社(女)をお参りします。
その時(本殿裏門)から見る本殿は朱色に輝き心を癒されます。
末社「男碑」
安産、子宝祈願「末社」が本殿向かって左側に祀られています。
末社「榊の木」
本殿左横に榊の木が祀られています。
末社「女碑」
安産、子宝祈願「末社」本殿向かって右側 に祀られています。
ぐるっと回って安産・子宝祈願は、男碑と女碑を参る
【熊野神社境内の狛犬】
狛犬は、中国の唐の時代の獅子が、仏教と共に朝鮮半島を経由し伝わってきたと言われています。
「こまいぬ」の語義には諸説があり、 魔除けに用いたところから
「拒魔(こま)犬」と呼ばれる様になったと言われています。
一般的に、狛犬は向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いている。
向かって左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じている。
狛犬向かって左像「吽形(うんぎょう)」、犬向かって右像「阿形(あぎょう)」
【熊野神社天然記念物町指定文化財】
樹齢100年のフジの花が4月下旬には満開します。
「天然記念物町指定文化財 」
熊野神社は、古来から大木、雑木、雑草が生い茂って、昼間でも薄暗く気持ちの悪い森とされて来ました。
ある長老の話では、神社の藪を切りはらったところ、部落の人々が疫病に苦しんだと伝えられています。
それから藪を切らなくなり森も荒れ、元の熊野の薄暗い森に戻り、疫病が落ち着いたと言う伝説があります。
熊野は、日のあまり当らない地に鎮座するのが本来の姿であり、地元の人は熊野神社を「藪神様」と呼んでいます。
樹齢150年のスダシイの木
「天然記念物町指定文化財」
樹齢約90年の「オガタマの木」
これだけの大きな「オガタマの木」は珍しいとされています。
青々と茂る「オガタマナの木」
昭和34年皇太子ご成婚記念樹
「楠の木」
【熊野神社の鎮座地(内橋)の話!】
熊野神社は、筑前国続風土記拾遺によると湯原大明神ともいい、昔はここに温泉が沸いていたことを示しています。
熊野神社が鎮座する、内橋村は「筑前国続風土記」には、現在の内橋付近まで海が入り込んできていた、内橋には橋が設けられていて、船の出入りがあり、この地を内橋と呼ぶようになったのであろうと記録されています。
又古文書には内橋を「打橋」と書いています。
この言葉には川の両岸に木材でつくった橋という意味があります。
内橋と言う名称は、1285年(鎌倉時代後期)に起こった岩戸合戦で幕府方に加わった武士「打橋平内左衛門尉泰幸」(うちはし へいないざえもん じょうやすゆき)、この武士は、打橋を根拠地としていた武士と考えられています。
また、1484年杉氏の歴史資料によると「打橋」の約30町歩が「顕孝寺領」(けんこうじりょう)であることや、家臣の杉氏を、その土地を支配する大官職に任命していたことでうなずけます。
内橋には、小字の中に上屋敷、下屋敷の地名が残っていることから、有力な人物が居住していたものと思われます。
尚、1929年(昭和4年)シロアリによる被害を受け、改修工事の際に、この地から石棺が見つかり、中から勾玉6個(1個破損)が出土しています。
【熊野神社への交通網】
・天神からバス74番で~内橋バス停迄 約30分 徒歩5分
・博多駅からタクシー15分
・福岡空港からタクシー15分
・駐車場 5台
※熊野神社は、東区福岡流通センター近くの「内橋一区公民館」奥に鎮座しています。
(SEIKOUさん)
No.1676
2013.1.27 UP
2020.1.27 更新