神功皇后が藁筵を敷き熊野大神を招請
九州自動車道古賀インターから車で約10分の、農村地帯の中にあります。
古賀市の中で最も古い鳥居がある神社だそうで、
古賀市の観光パンフレットにも載っています。
全長133m、250段の長い石段を登った先の鷺白山の中腹に拝殿が鎮座しています。
九州北部の神社に多く見られるように、この神社も神功皇后の三韓征伐に関係があるそうです。
また、神仏習合の名残で、県指定文化財の阿弥陀如来像板碑が鎮座しています。
石碑に書かれている由来
熊野神社 故宮 若一王子宮
御祭神
饒速日命(にぎはやひのみこと)
速玉男命(はやたまのをのみこと)
伊邪那美命(いざなぎのみこと)
事解男命(ことさかのをのみこと)
宇麻志麻知命(うましまぢのみこと)由来
熊野神社は鷺白山の北の峰 緑豊かな「なぎの木」しげる鎮守の森に奥床しく鎮座されている
御祭神に 伊邪那美命 饒速日命他三柱を祀り 日本の建国に最も功績の高かった神々で 文武に勝れた開運の守り神である
社伝によれば神武天皇が東遷のおり 御船を海浜につなぎ この山上の石に腰掛け四辺を展望されたことから「御腰掛石」の名が残っており 大小二石あることから「夫婦石」とも呼ばれている
後に神功皇后が新羅へ進幸される時神武帝の故事に倣い 此の地が勝れた霊山であるので祭祀の御座に藁筵を敷き熊野大神を招請して戦勝を祈願された
その折白鷺が飛来し傍らの松樹に止り筵内の村名と鷺白山の地名が起こったと言う
天安五年(一四四八)足利義政将軍の時鷺白山から現在地に移され天文年中(一五三二 一五五四頃)義晴将軍の時再建された
九月十六日から十八日迄の祭礼には神輿が三町余(三百五十米)山下の頓宮(宝満神社跡地)へ渡御されていた(社伝は筑前國続風土記捨遺巻之二十五に拠る)
明治五年十一月三日 村社に別格
明治四十四年七月四日 五所天神社 宝満神社 貴布弥神社 天御前神社 白山神社を本社境内に移転合併
大正十二年八月十三日 愛宕神社を境内に移転合併
県指定文化財である阿弥陀如来像板碑 神仏混淆の名残である本地堂の阿弥陀仏像 本殿にある龍の彫刻 伝説に残る黒駒の絵馬をはじめ多くの絵馬を拝殿内に見ることができる。
現在の祭礼
元旦祭 一月一日
初祈願祭 三月二日
春季祭典 五月初牛(十日までにないときは初卯)
秋季祭典 九月初卯(同右 初牛)
宮座 十月十六日
二の鳥居をくぐった先にある、改修された石段。
途中に北辰妙見宮があります。この石段を登ったところに境内があります。
県指定文化財の阿弥陀如来像板碑。
写真では分かりづらいですが、阿弥陀如来が岩に線で掘られています。
拝殿。境内には、摂社として天御前神社、貴布弥神社、天神社、宝満神社、白山神社、少し離れたところに愛宕神社も祀られています。
拝殿の奥には、拝殿より一回り大きく、さまざまな装飾がなされた本殿があります。
写真は、本殿入口上部の龍の彫刻です。
本殿のさらに奥に鎮座する、木造阿弥陀如来座像の祠。
(大門さん)
No.1793
2014.9.17 UP
2020.1.30 更新