八幡太郎・源義家による勧請と伝わる熊野神社、旧小幡村の産土神
伊達市保原町宮内町74?
字中西の熊野神社より阿武隈川を昭和大橋で渡り南に徒歩約1時間ほど。
鳥居をくぐると左手の小高い場所に境内社の「愛宕神社」の社殿、 拝殿左に神仏混淆の名残の鐘楼も残されている。
本殿は奥行きが長く立派で、脇障子には武神と思われる丸彫りの細かな彫刻が施されいる。
御祭神
伊邪那美命
伊邪那岐命
事解男命
御由緒
後三年の役の時源義家公が熊野神を分霊勧請し戦勝祈願し、乱平定後に神徳を奉斎して祀ったとの伝説があり、旧小幡村の産土神として護り続けられてきました。
又、正確な時代は不詳ですが、菊田家の先祖がこの地へ移った時、熊野の神を守護神として奉斎したとの言い伝えもあります。
江戸時代には真言宗胎教児寺別当熊野大権現と称していましたが、明治二年に現社名に改称されました。
(祭神、由緒は社頭の「御本殿改修記念の碑」を参照)
ここでしょうか?
(TATSUさん)
No.1558
2012.4.5 UP
2022.5.7 更新