土湯温泉の鎮守
土湯温泉の中心部、荒川を月乃湯橋で渡った先を左折。
上方に赤い鳥居が見える。
石段を登った所に足湯が設けられている。
鳥居をくぐり、さらに石段を登った先、せまい敷地に社殿が立つ。
覗くと石の本殿が見られる。
社殿周りには石灯籠、秋葉山他の石碑が祀られている。
御祭神
伊邪那美尊
御由緒
不詳
村社 熊野神社 元標の艮位三町杉ノ下に鎮座す。
社地東西四間五分 南北七間 段別一畝一歩
伊奘冊尊を祭る 勧請年月詳ならす。
神殿辰位に面す 東西四尺三寸 南北一尺六寸
雨屋あり石造なり 工を極む(「伊達郡村誌」参照)
奈良朝時代(719-793)役の小角によって吾妻山が開かれ修験道の霊場として栄えたとき、土湯口から入峰する修験者や信者の宿坊として、六院の坊舎が設けられ大いににぎわった。
その六坊(西海子坊・松之坊・桂之坊・率都坊・榧之坊・柿之坊)は現在は不明である。
後年になり吾妻権現の里宮として当地に伊佐那美尊の分霊を勧請し、土湯温泉の鎮守として信仰されるようになった。
安永三年(1774)、現在の長野県伊那市高遠町出身の石工松川友右衛門親盈が精巧極まりない石造の社殿を築造し奉祀した。
明治十一年村社となった。
(社前の掲示より抜粋)
(TATSUさん)
No.1788
2014.1.29 UP
2022.5.6 更新
参考文献
- 『伊達郡村誌』