飛鳥時代の勧請と伝わる熊野神社
JR常磐線湯本駅より常磐交通小名浜方面行きバス乗車、船尾住宅下車すぐ。
バス停から近くに、鳥居と神社の森がのぞまれる。
鳥居のそばには、「湯殿山」の石碑があり、そこから石段が山頂に向かって延びている。
境内には、手水舎、狛犬、神輿倉の他、拝殿の左右に境内社が祀られている。
拝殿の中には「熊野権現」の扁額が掲げられている。
本殿は手の込んだ細工がされているようだが、拝殿の屋根には落ち葉がたまり若干荒れた感じがする神社であった。
御祭神
伊弉那美神、事解之男神、速玉之男神
御由緒
不詳。
社伝によれば天智帝(645~671)の頃、
紀州熊野より御分霊を勧請し、上船尾村字宮下に遷宮した。
和銅年間(708~715)と宝治年間(1247~48)火災により神殿等焼失、
建長元年(1249)岩城隆久が字古内地内熊野作に移設再建。
天保十二年(1842)正月再度火災で社殿古記録等焼失したが、
同年現在地に仮社殿を造営した。
(祭神、由緒は、小泉明正『浜通りの熊野神社めぐり』 (歴史春秋出版)参照)
境内
拝殿左の境内社
拝殿右の境内社
(TATSUさん)
No.1679
2013.1.30 UP
2020.9.6 更新
参考文献
- 小泉明正『浜通りの熊野神社めぐり』 歴史春秋出版
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