御宝刀殿大権現、旧菊多郡73ケ村の総鎮守
JR常磐線植田駅より南下。
鮫川を鮫川橋で渡り、右折し線路を渡ると鳥居と社号標が立つ。
そこから大木が並ぶ約200メートル参道が延びている。
参道の先には拝殿が小さく見える。
参道を進むと、道路が横切っておりその先が境内である。
境内には狛犬の他境内社が散在している。
拝殿の右側、境内社の後ろに欅の大木がある。
ほかにもカヤ、イチョウの大木も見られる。
拝殿は、銅板葺き入母屋造り、本殿は、銅瓦棒葺き春日造りである。
夏の例祭で奉納される「稚児田楽と風流・獅子舞」がとても有名で、いわき市の「国指定重要無形民俗文化財」に指定されている。
御祭神
伊弉册尊、豫母都事解之男命、速玉之男命
御由緒
不詳
大同二年(807)六月七日熊野新宮の分霊を別当日下大膳によって勧請し長子地内の仮宮に奉祀した。
弘仁元年(810)ニ月十五日大島米ノ倉に遷座(現在地)。
霊験あらたかなるところから、菊田庄司が刀剣を鋳造して奉献され、以来、御宝刀殿大権現として尊崇され、更に文禄五年(1596)、常陸城々主佐竹又七郎より、黒印220石を贈られ旧菊田郷73ヶ村の総鎮守とされた。
本殿は、正応三年(1290)の築造と伝えられ、その後幾度か社殿の維持工事があった。
明治十七年(1884)に社殿造営、昭和十一年(1936)屋根葺き替え、昭和五十四年(1978)社殿改修。
(祭神、由緒は、小泉明正『浜通りの熊野神社めぐり』 (歴史春秋出版)参照)
(TATSUさん)
No.1681
2013.2.1 UP
2020.3.22 更新
参考文献
- 小泉明正『浜通りの熊野神社めぐり』歴史春秋出版