奈良時代の勧請と伝わる熊野神社
国道49号線(平バイパス)を見下ろす山上に鎮座。
近くには上好間上野原工業団地が立地している。
参道入口
石段を登った先、右側に「熊野神社」、左側に「大山祇神社」の社号標が立ち、其の先に鳥居がある。
奉納殿
鳥居をくぐった境内には、右側に奉納殿、その先に熊野神社の拝殿、本殿が祀られている。
境内にはいろいろな境内社も祀られているが、表示がないため不明である。
資料によれば、「永文神社」「青麻神社」も祀られているという。
熊野神社本殿裏には「水分神社」も祀られていた。
東日本大震災のためか境内の石灯籠は崩れているものがみうけられた。
熊野神社拝殿前には、「茅の輪」が設置されていた。
そばには、「茅の輪」のくぐり方が表示されており面白い。
御祭神
伊弉那美命、事解之男命、速玉之男命
御由緒
不詳。
宝亀二年(771)洞菊山と呼ばれる北好間沢小屋北の熊野平の高台に紀州熊野神社の分霊を勘請したしたと伝えられる。
寛永十六年(1639)に上好間の上野原に遷宮し、その地を大杉林と呼ぶ。
寛文八年(1668)に北好間字岸に遷宮。
しかし、古河炭鉱の進出により大正八年(1919)に現在地に移った。
(祭神、由緒は、小泉明正『浜通りの熊野神社めぐり』(歴史春秋出版)参照)
(TATSUさん)
No.1686
2013.2.6 UP
2020.9.6 更新
参考文献
- 小泉明正『浜通りの熊野神社めぐり』歴史春秋出版