近隣33ヵ村総鎮守であった熊野神社
県道56号線より磐崎小学校方面に進み途中北に入る。
消防団の建物の横に震災の影響か補強された鳥居と社号標が立ち、そこから北方に参道が伸びている。
山道をしばらく登っていくと木立に囲まれた境内にいたる。
拝殿の左側に神輿倉とおぼしき建物、右に小祠が祀られている。
境内社
小祠は荒れているが資料によれば「白鳥神社」らしい。
熊野神社本殿
御祭神
伊弉那美命、事解之男命、速玉之男命
御由緒
古記録、棟札など維新の際焼失、内藤家落城に及び衰廃するにより、創建年代不詳。
湯長谷藩主内藤家の200年間、産土神として壮厳な社殿を有し、長い間近隣33ヵ村総鎮守の神社として、年々領主より弊帛を献納され盛大に祭典が執行された。
現在の鎮座地を龍ケ崎といったのも熊野堂字の建祠があったので、そう呼称されたものと思考される。
明治九年四月十二社殿造営。明治二年四月七日、熊野大権現の神号を熊野神社に改称。
(祭神、由緒は、小泉明正『浜通りの熊野神社めぐり』(歴史春秋出版)参照)
(TATSUさん)
No.1687
2013.2.7 UP
2020.9.6 更新
参考文献
- 小泉明正『浜通りの熊野神社めぐり』 歴史春秋出版
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