安土桃山時代に勧請された熊野神社
各務原市の西部、大野町東交差点の直ぐ南にあります。
数年前は、農村地帯でしたが、北隣にイオンのショッピングモールが開店し、神社周辺にも飲食や家電量販店が進出し都市化が進んでいる中で、今回も大木がある鎮守の森は緑の目印となりました。
神社の由緒
御祭神 家津美御子(須盞鳴尊)、速玉之男大神熊野牟須美大神(伊邪那美大神)
境内にある「熊野神社御由緒御神徳」によると、元宮は現在地の南方約5百メートルの場所にて関ヶ原合戦(慶長5年9月、1600年)の二年後に建立。現在の本殿は寛文7年(1677)、御囲堤(慶長13~14年工事〔1608~1609〕)による美濃方への洪水を免れるため、移転したという。
熊野神社の社標と鳥居のある入口。神社の「由緒御神徳」の案内版は左に掲示されていました。
右の道路が大規模ショピングモールと連絡する道路の一つです。周囲は典型的な農村の風景です。
石垣で地盤を高くした拝殿、本殿の外観です。
美濃や愛知の水郷地帯では、個人の宅地内に石垣で高くした場所を作り、洪水に備えて食糧や船を保管する水屋と称する建物を作りました。
集落規模を輪中(わじゅう)といいます。
人間の生活体験から得た防衛策ですが、現在は堤防も整備され、敷地の有効活用から減少し珍しいものになっています。
梛(なぎ)の木
昔、神社の石灯籠の灯油を梛の実から採ったという。
また名前が凪に通じること、葉が丈夫で切れないことから、鏡の裏に入れて家庭円満を願いましたと説明書がありました。
(河合さん)
No.975
2009.6.11 UP
2020.10.29 更新