もと天王社、戦国時代の頃に熊野権現を勧請し主神に
御祭神
伊邪那美神 事解之男神 速玉之男神
御由緒
創建は不詳であるが、史的考察によれば平安末期ころと推定される。
当時、牛頭天王を祭る津島天王社から分神を受け、室原天王社として祭った。
年を経て、古老達の言い伝えと史的考察によれば、文明~大永年間(1469~1570)の頃か、紀州熊野権現から分神を迎え、主神となし室原熊野権現とし、天王社は旧の儘に置いた。
その後、別当として真言宗の知善院を建立し、権現社の体制が整い、江戸末期まで続いた。
明治6年には神仏分離の法令が徹底されて、知善院は廃寺となし、熊野神社とした。
(境内の由緒記による)
また、町の資料によれば、当社の祭は10月5日に山車(車に山の合成文字)3台が飾られ、豊作の年には子供歌舞伎が山車で披露されると解説されています。
場所
当社は集落の中心にあり、他所の人間には分かりにく場所となっており、徒歩で歩きまわり、拝殿の横から境内に入りました。
拝殿は大きいという感想でしたが、奥の本殿は檜皮葺の本殿、陶器製と思われる狛犬があり、格調高い神社でした。
神橋がある社前です。
本殿と陶器製と思われる狛犬です。
拝殿前の表に祭神、裏に由緒記 が刻まれた石碑です。
(河合さん)
No.1083
2009.9.29 UP
2020.10.29 更新