もと熊野神社、鎌倉末期に熊野五所王子の第一・若一王子を勧請
場所
(旧佐位郡八寸村字権現山)
県道68号線豊城町交差点を左に入った権現山山頂に鎮座。
参道には一の鳥居から五の鳥居まで、鳥居が続く。
一の鳥居
五の鳥居
一の鳥居の側には境内社、石碑が並ぶ。
四の鳥居、五の鳥居には「天神宮」、「雷電宮」の神額が掲げられており、合祀された神社のものらしい。
拝殿の左には、天満宮、諏訪神社の小祠があり、その横には十数社の石祠が並んでいる。
御祭神
櫛御気野命
豊城入彦命
御由緒
不詳
蓮神社の歴史は、元亨元年(1321)若一王子大権現を熊野権現の臣下、天台宗の修験者と考えられる尾組の中将兼房によって勧請されたことに始まる。
その後、貞享五年(1688)領主の渡辺孫三郎富義により本殿が建立され、同時に若一王子大権現の本地仏である大日如来像がご神体として奉納された。
明治時代神仏分離が行われ、明治七年に熊野神社に改称し、八寸村の総鎮守社となった。
さらに、明治四十一年には、字長溝の無格社菅原神社、字宿裏の無格社熊野神社、字諏訪台の無格社下諏訪神社、字小斎の無格社上諏訪神社、字上サの無格社火雷神社、字八坂の無格社八坂神社、字権現山の無格社山神社の七社を合祀し、蓮神社と改称し現在に至っている。
(祭神、由緒は「上野国神社明細帳」、境内の社殿改修記念碑参照)
(TATSUさん)
No.1444
2011.4.22 UP
2021.2.7 更新
参考文献
- 『上野国神社明細帳』