もと熊野神社、奈良時代の創建と伝わる
場所
(旧 佐波郡上淵名村字銀杏)
東武伊勢崎線新伊勢崎駅より県道2号線を東に進む。
国道17号線をくぐり少し進んだ上渕名十字路の先左側に鎮座(徒歩約1時間ほど)。
道路に面して赤い鳥居、その先に石の鳥居がたつ。
境内には銀杏の大木が茂り、字名もこれに由来したものといわれる。
渕名神社拝殿
拝殿の右には、「淵名神社社殿新築記念碑」、その奥に、熊野神社の案内板と写真がある。
昔の熊野神社の写真
拝殿の左には、「奉納奥社」の社号の架かる赤い鳥居が二基。
奥には二十三夜搭、道祖神、大黒天、庚申塔、猿田彦大神、金山神社、豊玉姫神の石碑のほか、飯玉神社、豊城入彦、富士浅間神社、諏訪神社、秋葉山神社等の石祠が並んでいる。合祀神社であろうか。
渕名神社本殿
御祭神
主祭神
保食命(うけもののみこと)
配祀神
奇御木野命 大己貴命
大日靈命 金山彦命
倉稲魂命 大山祇命
迦具土命 健御名方命
素戔鳴命 菅原道真命
誉田別命 木花咲耶姫命
(「淵名神社社殿新築記念碑」参照)
神社合祀前の熊野神社の御祭神は奇御木野命であった。
(「上野国神社明細帳」より参照)
御由緒
不詳
「上野国神社明細帳」によれば
上渕名村字銀杏には熊野神社が鎮座し、境内社として大山祇神社、浅間神社、愛宕神社の存在が記載されている。
明治四十二年六月四日以下の村内神社を熊野神社に合祀し渕名神社と改称した。
上渕名村 字本屋敷 飯玉神社
字新田 神明社
字新町 金山神社
字三筆 赤城神社
字本屋敷 稲荷神社
境内「淵名神社社殿新築記念碑」(平成十年)によれば
由緒
当社は奈良時代の創建と伝えられ、鎌倉時代に至って、豪族淵名大夫光行の篤い崇敬を受けて、その氏神として祭祀されたとも伝えられている。
天下争乱の戦国時代に一時荒廃したが、郷民崇敬によって修復され、明治六年には、村社に列せられている。
現在の社殿は熊野神社と称された時のもので、明治の頃に上淵名の鎮守である飯玉大明神を合祀した際に淵名神社と改称し「保食命」を主祭神とした。
同時期、近傍に祭祀されていた「金山大権現」「赤城神社」「諏訪神社」「神明宮」「天満宮」「稲荷神社」なども合祀し、今に至る。
境内には以前、樹齢三百余年以上あると思われる、見上げるばかりに大きな銀杏の古株が有り、字名を銀杏と称される程であった。しかも、この大銀杏の樹皮を産婦が用いると乳の出が良くなると伝えられ神社に祈願してその分与を乞う者も多かったという。
境内 拝殿東の案内板の「熊野神社の由緒」によれば
「熊野神社」
上淵名(いま淵名神社)祭神 須佐之男尊
淵名神社になって「保食命」
(1)奈良時代に創建されたと伝う。
鎌倉時代に至り豪族淵名大夫光行の崇敬が篤く氏神として祭祀した。
戦国時代に一時社殿が荒廃したが郷民の崇敬によって修復され古来より十二月二十九日に例祭が営まれた。
明治に至るまでの境内に目通り十六尺の大銀杏があり婦人がこの樹皮を用いると乳がよく出るといわれて奉賓が盛んであった。今の此の地を字銀杏というのはその為である。
(2)昔、上淵名の鎮守は飯玉大明神であった。
村の東南方淵名から東新井に通じる道端にあったが明治に熊野神社に合祀して淵名神社と改めた。
いま、淵名神社の御神体は飯玉大明神の御神体を納めるもので古来からあった熊野神社の御神体はこの時放り出されてしまい大家が店子に追い出された形となった。
天保年間、村内にあった神社は村の西方に「金山大権現萬蔵」、東に「赤城神社」、もと長命寺前に「諏訪神社」、南方に「神明宮」、横町に「天神様萬蔵東」と「比丘尼塚」、阿弥陀山に「稲荷神社」があったが明治に淵名神社に合祀された。
二つの表示には微妙な表現の差があり、「古来からあった熊野神社の御神体はこの時放り出されてしまい
大家が店子に追い出された形となった」等々。これから、明治期の神社合祀時に御祭神の混乱、熊野神社側氏子に不満があったことがよくわかる。
(TATSUさん)
No.1517
2011.11.27 UP
2021.2.7 更新
参考文献
- 『上野国神社明細帳』