鎌倉中期に勧請された熊野神社
場所
(旧 上野国利根郡新治村大字須川字中原)
旧三国街道の須川宿の北のはずれの森の中に鎮座している。
三国街道は中山道高崎から別れ三国峠を越え、北陸道の寺泊へ至る街道であり、関東と越後を結び古くから利用されてきた。
須川宿は500メートルにわたり宿場の面影を残している。
入り口には、「村社 熊野神社」の石塔が立つ。
側面には、祭神として「伊邪那美命」「大穴牟遅命」「経津主命」「品陀和氣命」と刻まれている。明治期に合祀された神社の祭神だろう。
境内には神楽殿があり、他に拝殿の周りに境内社が散在していが、祭神は不明。
本殿は朱色に塗られ細かい彫り物が見事である。
手水石には、安政二年の銘があった。
境内からは上信越国境の山々が真っ白で美しい。
御祭神
速玉男命
伊弉冉命
事解男命
「上野郡村誌」には「伊弉册命」
御由緒
不詳
文応元年(1260)の勧請と伝えられている。
(祭神、由緒とも「上野国神社明細帳11」参照)
(TATSUさん)
No.1412
2011.2.19 UP
2021.3.7 更新
参考文献
- 『上野国神社明細帳』