明治末期に合祀されたが現存、平安時代後期の勧請と伝わる
(旧西群馬郡尻高村字熊野)
たかやまバス中山本宿より中之条行き乗車、入沢口バス停下車すぐ。
ちなみに中山本宿は旧三国街道の宿場で旧本陣や問屋が残されている。
熊野神社は北向観音堂に対して北側の一段高い丘陵の中腹に鎮座している。
熊野公民館が隣接している。
朱色の鳥居をくぐると、拝殿の右には神楽殿があり、 拝殿は中を覗くと、細かな彫り物がされた本殿が祀られている。
「高山村誌」によれば明治初期、社殿は樹齢数百年の木々に囲まれていたが、神社合祀の際すべて伐採されたという。
御祭神
速玉男命
伊邪那美命
事解男命
菅原道真公
宇迦之御魂神
御由緒
不詳
永保元年(1081)辛酉秋、紀伊国熊野三社を勧請、一村の総鎮守として創建されたといわれている。
又一説には元弘三年、里見五郎左衛門尉の立願によって建立されたもので、この時熊野三社権現を次の村々に分けて勧請したともいわれている。
上尻高村 新宮
大塚村 本宮
赤坂村 那智
明治四十一年一月二十日、和利神社(吾妻神社と改称)に合祀される。
(御祭神、由緒は「高山村誌」より参照)
(TATSUさん)
No.1503
2011.9.19 UP
2021.5.17 更新
参考文献
- 『高山村誌』