明治時代に熊野神社を合祀
角渕八幡宮
群馬県道40号線の角渕交差点より東に入ったところに鎮座。
以前投稿した玉村八幡宮の元宮である。
境内の左手には大神宮の祠が祀られており、周囲には事勝神や猿田彦大神、庚申塔が並んでいる。
他にも境内には石祠、石碑が多く祀られている。
熊野神社
境内社は拝殿の左側に、左から古峯神社、戸隠神社、熊野神社、石神社、稲荷神社が並んでいる。
熊野神社の御祭神
伊邪那岐命
伊邪那美命
櫛御気野命
御由緒
鎌倉時代の初め、建久四年(1193)源頼朝が那須野で狩りをした帰りに角渕で休み、烏川の風景が鎌倉の由比ヶ浜に似ているというので、後に奉行として上野国に入った足立盛長に命じて鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の分霊を勧請せしめたのが、角渕八幡宮のはじめといわれる。
慶長十五年(1610)に荒廃した角渕八幡宮の社殿を玉村の上新田を下新田の境に移築修造し玉村八幡宮と名を改め祀った。
角渕八幡宮は後再び荒廃したが天保、嘉永年間に本殿、拝殿の改築を行い、平成二十二年大修理が竣工した。
明治十年に雷電神社、稲荷神社、熊野神社、菅原神社、戸隠神社、石神社を合祀した。(熊野神社は字下ノ手より移転合祀)
(祭神、由緒は「上野国神社明細帳」及び境内の「角渕八幡宮」「角渕八幡神社(角渕八幡宮)本殿修復記念碑」参照)
(TATSUさん)
No.1545
2012.2.13 UP
2021.5.20 更新
参考文献
- 『上野国神社明細帳』