碓氷峠の熊野神社
鈴音さんからのご投稿
上野・信濃国境線上中央の熊野神社本宮
つまご―まごめ間のほぼ中間点にあって、ちょうど疲れてきたころ。
平坦な道をひたすらあるいてふと左手を見ると、見慣れた「熊野」の文字を見つけ。
なんだか懐かしい気持ちになりました。
祭神
伊邪那美命(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかのおのみこと)
日本武尊祭日
1月6日(御田遊神事)
5月15日(春の例祭・碓氷太々神楽七座)
10月15日 (秋の例祭・碓氷太々神楽七座)社殿
上野・信濃国境線上中央に本宮(祭神・伊邪那美命)、群馬県側右方に新宮(祭神・速玉男命)、長野県側左方に那智宮(祭神・事解男命)、の熊野三社を祀る
御由緒沿革
海抜1200米の旧碓氷峠頂上、群馬長野県境に鎮座し、本宮・新宮・那智宮の熊野三山を祀る。古く日本武尊が東夷征討凱旋の際、碓氷坂で神武天皇の故事をしのび、当社を勧請されたという。古来皇族・武人・一般庶民の崇敬厚く、「碓氷峠の権現様は主のためには守り神」と追分節に歌われ、中山道の交通安全の守護神、生産増強、勧学の神として知られる。日本最古の安政の遠足(とおあし)が毎年5月に行われている。旧県社。
(「神社名鑑」222頁より)
(鈴音さん)
2001.7.21 UP
No.86
松岡さんからのご投稿
碓氷権現熊野神社。
境内は本宮がちょうど、群馬、長野の県境になっています。
群馬県側に鎮座は新宮 速玉男命〔はやたまおのみこと〕
県境鎮座 本宮 いざなみのみこと 日本武尊
長野県側鎮座 那智宮 事解男命〔ことさかのおのみこと〕
群馬県側が〔熊野神社〕、長野県側が〔熊野皇大神社〕となっています。
同じ神社が、県境の線が本宮の真ん中を通っているための事です。
此所の前の通り道が、旧中山道。
江戸時代に整備された東京日本橋から京都三条大橋までの街道です。
今は「峠の釜飯」で有名ですが、此所から碓氷峠を越える道が旧中山道になります。
今回の旅では、一人での山道の峠越えは危険すぎると思いまして、熊野神社へは軽井沢の中の旧中山道を江戸の方向に歩いて向かいました。
街道筋には見晴台がよくありますが、多くの文人がおとずれ万葉の歌碑もあり、東西を結ぶ道が早くから開けていたと思われます。
この旅は旧中山道を京都まで写真で絵巻物風に綴ることが目的でした。
歩いてみて、街道筋には歴史が詰まっていました。
熊野神社に参拝の折、宮司様から熊野の参拝を進められておりまして、2年越しで熊野参拝が実現となりました。
(松岡さん)
2005.2.23 更新
No.366
(てつによる追記)
長野と群馬の県境をまたいで鎮座するため、戦後、宗教法人法が制定された際に都道府県ごとに宗教法人の登記が必要となり、1つの神社でありながら2つの宗教法人となりました。
2001.7.21 UP
2005.2.23 更新
2020.10.30 更新
2021.7.6 更新
参考文献
- 碓氷峠 熊野神社
- 熊野皇大神社
- 神社本庁調査部『神社名鑑』神社本庁神社名鑑刊行会
- 熊野神社 (安中市) - Wikipedia