江戸時代初期に明石藩主・松平光重が勧請した熊野神社
場所
山陽電鉄大蔵谷駅より徒歩5分。
駅より明石駅方面に少し進み、山陽電鉄、JRの線路を渡る橋(権現橋)を少し進んだところに鎮座しています。石段を少し登ります。
住宅地ですが、なぜか隣はホテルです。
御祭神
伊邪那岐命
伊邪那美命
御由緒
創立 寛永十四年四月十九日
天正六年(1578)織田信長家臣高山右近播州進攻の時、大蔵谷城攻略の砌、橋爪神社がその兵火を罹り焼失、この地にその小祠を建て橋爪神社を仮に祭った。
その後寛永十四年(1637)橋爪神社が再建したので遷御の後、この小祠へ同年四月十九日時の明石城主松平丹波守光重が紀州熊野三社権現(熊野坐神社 熊野那智神社 熊野速玉神社)を勧請創立す。
(境内の熊野皇大神社略記による)
例祭
毎年四月十九日
境内社
白龍神
高倉大明神
稲荷他
最上大神、小森大神、杉大神、荒熊大神、松尾大神、三岳大神
その他
鳥居も写真の通り2基とも破損したままです。阪神淡路大震災のためか?
境内も手入れがされておらず、草が茂っていました。境内社も荒れていました。
(TATSUさん)
No.306
2004.12.15 UP
2022.5.4 更新