平安時代中期に勧請された熊野神社
祭神
五十猛命
御由緒
永延元年(986年)、熊野の大神を御遷したと伝えられている。
熊野大社の中殿である第三殿は証誠殿と言い、家都美御子大神(素戔嗚尊)が祀られている。
家都美御子神は木都御美子神とも表記されるように熊野の鬱そうとした森林に神を見た熊野坐神であり、人格神として素盞嗚尊や五十猛命のこととされる。
この神社の証誠権現宮という名前は明治初期に付けられたようである。宝永五(1,708)年の石灯籠には聖霊大権現と刻まれている。
お姿
妙法寺川沿いの住民の産土社として祀られてきた。
昭和42年不審火により本殿以外は燃え、46年再建されている。また先の阪神淡路大震災で鳥居が崩壊し、再建されている。
かって、樹齢1000年近い大木があり、根本の穴で子供が3~4人入れたとのことである。
枯れてしまっている。
楠木が大きい。遠くからこの神社を見ると木々が盛り上がっている。程良い間隔で楠木などが植えられている。 本殿は銅葺流れ造(権現造)。
(神奈備さん)
No.113
2001.12.23 UP
2021.6.30 更新