平安初期に弓弦羽の森に社殿を造営
場所
旧神戸市東灘区御影町御影字弓弦羽ノ森1810
阪急御影駅 南東 徒歩5分,阪急御影駅を下車し南東方向へ歩くと、周辺は緑豊かな住宅地が連なっている。
5分も歩くと、一際こんもりとした緑の森、弓弦羽の森に行き着く。
御祭神
伊邪那美命(いざなみのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
三柱にして合わせて根本熊野三社権現として奉る。
御由緒
由来説明板より。
神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓より凱陣のみぎり、忍熊王(おしくまのみこ)の反乱に遭い、この地で自らの弓矢・甲冑を納めて熊野大神を祀って祈願し戦勝された。
下って、桓武天皇の御代延暦年間(782~805)に弓弦羽の森を神領地と定め、嘉祥2年(849)神祠を造営し遷座されたという。
このとき、熊野別当慶覚、祝文を贈りて曰く、「摂津国灘浦遊鶴羽之峯権現の古事当文庫に記録あり云々ーーー」と。
御影の町は、六甲山を背にし、南に茅淳海(ちぬのうみ=大阪湾)を望んで風光明媚・気候温暖で古くより栄え平安時代中期より盛んになった熊野信仰と共に神社も発展した。
江戸時代になると、回船業や酒造業を営んで財を成した氏子地区の索封家が、こぞって神社に寄進し社頭隆盛を極めた。
郡家、御影、平野の三村の総氏神にして、(熊野)権現宮として親しまれ創設の古事により「厄除け開運・所願成就・子供育成守護」の神、熊野権現「みちびきの宮」と、朝野を問わず広く崇敬をうけた。
例祭
5月3日、4日 五月大祭別名地車祭とも呼ばれ、氏子八地区の地車(だんじり)が町を練り神社に集合します。
10月15日 例祭
(TATSUさん)
No.268
2004.10.21 UP
2021.6.30 更新