場所
神戸電鉄小野駅下車徒歩15分、大池のほとり小野市役所の裏にあります。
小野市は、播磨内陸部の文化の中心地として発達し、また、現在の地名には「播磨国風土記」に記述された名を受け継いだものがあり、平安時代末から室町時代にかけて、小野市の中心部は奈良東大寺の荘園大部荘に属していたため、経済的な拠点として重要な役割を果たしてきました。そろばんと家庭用刃物が伝統的特産品となっています。
境内はよく手入れされ、歴代藩主の信仰が厚かったことがしのばれます。お寺はないのですが、なぜか鐘突堂がありました。
御祭神
伊邪那美命(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
事解男命(こととけおのみこと)
御由緒
当社は元「大目大明神」と称し伊邪那美命を鎮め祀りて大目之庄の祖神とし、毎年春秋の二季祭事を奉祀した。後世大目之庄を大部之庄と改められ当社も大部大明神と改称された。
その後、紀州熊野神社神主穂積宿祢の裔の鈴木氏が当地に来たりて速玉男命、事解男命の二柱を合祀し熊野大明神として斎泰せられたが、本地垂迹説により熊野権現社として呼ばれるようになった。
天正8年三木城主別所長治落城の際、羽柴秀吉軍の兵火により炎上したが、寛文12年3月領主、一柳対馬守直好によって再建された。
領主一柳家、小野に移城以来、垂井の庄神明神社並びに住吉神社と共に三氏神として一柳家祈願所に列せられた。
(境内の由緒説明版による)
境内社
稲荷神社
例祭
秋季例祭 10月10日
(TATSUさん)
No.270
2004.10.24 UP
2022.9.3 更新