鎌倉時代の勧請と伝わる熊野神社
09/5/28
加古川は丹波に始まる播州平野を流れる一級河川で古より多くの文物を運んできました、
ここ小野はちょうど山岳部から出てきた川が海に至るまでの中間地帯であり、舟運と荷の中継点として古より栄えてきたようです。
河合町の加古川の堤防に隣接する形で新宮神社が祀られています、
かつては河川敷であった事も考えられる地帯で現在は広い稲作地帯にあたります。
かなり広い社域があり照葉樹林に覆われていて昼なお暗いと云う表現がぴったりきます。
がやがやと動物の気配がうるさくて、どうやらカラスのねぐらになっている模様でした。
この神社には拝殿の前に舞台が設えてあり「農村舞台」ではないか?と思いました、
播州は播州歌舞伎(農民歌舞伎)が盛んであったので秋の祭礼の日には村中の人々が集まって歌舞伎に興じたり、ドサ廻りの歌舞伎一座の興行を観劇したのでしょう。
たまには隣の加西(北条)や多可から播州歌舞伎の一座を呼ぶ事もあったでしょう、
役者が来る日は朝から村中わくわくしてそれは・それは楽しい事だったのでしょうね。
本殿はコンクリート造で比較的新しい普請の様子で、正面に由緒を彫った板碑がはめ込まれていました。
すべて漢字で僕には解読できない所がたくさんありますが、
概ね・・正治元年9月9日紀州熊野に鎮座する神さんを祀りました・とか書いてあるのでしょうか?
祀神は速玉男命・事解男命・伊弉冉尊・国之常立尊、との事のようです。
遠い日の祭り囃子の笛の音が聞こえてきそうな気がしました。
(romiさん)
No.997
2009.7.5 UP
2022.9.3 更新