09/5/27
高砂から播磨灘へ注ぐ加古川を遡ると、播州織で有名な西脇から丹波へと至る加古川と加美へ至る杉原川へと分かれていきます。
杉原川は丹波・播磨・但馬の国の国境辺りの水を集めて、かつて手漉き和紙の一大産地であった杉原谷を流れ下って水量をまして行きます。
この山々に囲まれた谷では豊富な水と楮を利用して昔から和紙の生産を生業としていた様子です。
杉原で生産される和紙は品質が高く、その品の確かさから鎌倉時代には幕府の公用紙として利用されていたようで、古くは12世紀初頭・関白忠実の日記「殿暦」にも記載があるそうです。
この杉原川に沿って(中・加美)の里を遡ると、三つの熊野神社へ訪ねる事ができました。
※ ※ ※
かつて街道であった様子の分かれ道の奥ほどの鬱蒼とした木々に囲まれて鎮座していました、
鈴につけられた赤い引き布から鮮やかな印象を受けました。
頻繁に訪れる人もいないようですが、綺麗に清掃された拝殿の奥に社殿があります。
樋などが新しい物に取り替えられ社殿周りの草なども挽かれていて大事にされている様子でした。
掲示板が一つ建てられていて、この神社の縁起と社伝が書かれていました、それによると・・・↓
この神社は権現さんと呼ばれ和歌山県の熊野新宮大社より分けて祀った古いお宮さんです。
ここに十二社の神さんが祀られていましたが、平安時代、近衛天皇のとき源頼正という偉い人が天神さんだけを大姫山へ祀りました。
しかし鎌倉時代に火事になり夢のお告げで徳畑へ神社を遷しました。
天神郷の氏神、徳畑天神社の歴史の元になる熊野神社は奥中の人達によって大切に祀られている神社です。
↑との事、かなり古い時代から熊野権現を祀っていたようすです。
しかしこの掲示板の字が手書きでいいですね、作者の郷土への愛情があふれていました。
ぬるい風に吹かれながら掲示板を眺めていると、若い母親が子供と手をつないでいます。
幼稚園から帰る子に童謡を歌いながら狭い路をのんびり歩いていました。
(romiさん)
No.994
2009.7.2 UP
2022.9.9 更新