熊野別当・湛増が関東下向の際に創建
場所
古渡の町中、ENEOSの給油所の角を曲がり直進すると、須賀神社に到る。
須賀神社の左を通り、さらに山の方に登っていくと、白い鳥居と「村社 熊野神社」の社号標が見える。
鳥居手前に祭神、由緒を記した石碑が立つ。
境内は社殿に向かってゆるい傾斜になっている。
鳥居の先の石灯籠、土止めの様なコンクリートの堰を越えると、一段高いところに社殿が鎮座。
拝殿の右側に、木製の境内社が一基、石祠が七基祀られている。
社殿裏は鬱蒼とした森である。
拝殿内を覗くと、「熊野大神」の扁額と昭和五十五年の修理棟札が掲げられていた。
御祭神
熊野加夫呂櫛気命
伊弉册命
菊理姫命
速玉之男命
事解之男命
軻遇突智命
御由緒
文治元年紀伊国熊野別当湛増の創建。
永禄二年江戸崎城主土岐大膳大夫源朝信冶英内殿を修造。
天正十五年冶英の嫡子源(土岐)冶綱外殿を経造。中略
明治六年村社。明治四十二年拝殿を造営。
(以上祭神、由緒は鳥居脇の石碑から抜粋)
紀伊国熊野別当湛増法眼の勧請。
湛増は寿永の乱に戦功を立て戦がすんでから関東に下向し、其戚信田義詮を信田郡に訪はんとして途中古渡の港に上陸し、丘陵に熊野三社大権現を勧請した伝ふ。
(以上由緒は「茨城県神社誌」参照)
(TATSUさん)
No.1779
2013.11.6 UP
2021.8.7 更新
参考文献
- 『茨城県神社誌』