通称、三熊野神社
花巻市から国道283号線(釜石街道)を遠野に向かい、安野橋をわたってすぐ県道284号線(北成島花巻線)に入る。
県道39号線(北上東和線)とぶつかるとすぐ左手に熊野神社の参道がある。
参道入り口のすぐ先に鳥居があるがこれが一の鳥居か。
参道を上り詰めると二の鳥居が立つ。
神額には「熊野神社・毘沙門天」とある。
赤い両部鳥居の三の鳥居をくぐると境内で、右に拝殿、本殿が鎮座する。
拝殿は入母屋造り、本殿は向拝流棟造りである。
境内には、春日神社などの小祠、山神社、天照皇大神などの石碑の他、出羽三山の石碑、多聞天堂が祀られている。
毘沙門堂
本殿の右手奥には毘沙門堂がある。
室町後期の寄棟造の鉄板葺のやや大型の三間堂で廻り縁と向拝付き。
延宝元年(1673)改修。
毘沙門天など重文像は保護のため一段高い場所の収蔵庫に収められている。
毘沙門天像は10世紀前半の作、一木造りで日本一の巨像(4.73m)でその迫力に圧倒される。
側の伝吉祥天立像は9世紀後半の作、欅一木造りで繊細な作である。
熊野神社には十二番角力式(泣き相撲)と言われる奇祭が伝わっていて花巻市指定無形民俗文化財となってそのための土俵がある。
御祭神
伊弉冉之命、事解男之命、速玉男之命
由緒
延暦二十一年(802)坂上田村麻呂征夷に際し、征矢立森に登り遥かに紀伊の熊野三山に戦勝祈願をした。
難なく、平定することができ、熊野三山の神威を崇び創建されたと伝えられている。
康平5年(1062)に源義家が安倍貞任を追撃し、社録に記して凱旋したと伝えられている。
明治5年郷社となる。
拝殿は昭和三十二年新築、本殿は、平安初期の古代建築と認定された。
平成八年、幣殿が改築された。通称、三熊野神社といわれている。
( 祭神、由緒は「毘沙門堂拝観のしおり」参照)
熊野神社拝殿内部
熊野神社本殿
(TATSUさん)
No.1659
2012.12.4 UP
2020.3.17 更新