み熊野ねっと 熊野の深みへ

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熊野神社:神奈川県三浦郡葉山町一色2480

日照院さんからご投稿いただきました。ありがとうございます。

真名瀬の権現様

熊野神社鳥居

 葉山町は皇室の葉山御用邸で有名だが、かつてからこの近辺の海岸線は景勝地として有名であった。秋谷の立石、長者が崎の夕景などは、一度は見ていただきたい神奈川県の誇るべき名勝である。

 葉山御用邸の北の岬(鼻)に鎮座する森戸大明神も名勝として知られてきた。森戸大明神は三島明神を深く信仰した源頼朝が山王権現を祀っていた当地に三島明神を勧請したものという。源氏の信仰厚く、鎌倉歴代将軍や足利氏、北条氏も信仰したといわれる。突端の岩場に生えるビャクシンは源頼朝が「千貫に値する」と褒め称えたため千貫松と呼ばれてきた。晴れた日は遠く富士山を望み、江ノ島や伊豆半島も見え、名島の鳥居越しに見る夕景は弥陀の来迎に与るが如しである。名島には浦島太郎の伝説もあるとか。

森戸大明神
森戸大明神

 さて、森戸大明神から少し南へ下ると真名瀬漁港がある。真名瀬は「まなせ」ではなく「しんなせ」と読む。ここに「真名瀬の権現様」と呼ばれて親しまれてきた熊野神社がある。
 この熊野神社に平成十六年一月四日に参拝してきた。JR逗子駅から海岸回り葉山行きのバスに乗って真名瀬で下車。東の山側へ住宅地を歩く。途中茅葺屋根のお宅などを見、五分もしないうちに山際の熊野神社へ到着。

真名瀬の海岸から菜島・江ノ島を望む
真名瀬の海岸から菜島・江ノ島を望む

真名瀬の民家
真名瀬の民家

 神社の案内によれば、江戸時代に紀州から漁業者が移住し、郷土の熊野神社を守護神として祀ったものと云われているという。
 真名瀬地区は海に山が迫った狭い土地に住宅が密集しているにもかかわらず、一度も大火に見舞われたことはなく、これは「権現様」のご加護であると言い伝えられてきた。現在でも火防の神様として篤い信仰を受けている。

熊野神社
熊野神社社殿(右は大漁稲荷)

 三浦半島の西側に当たる当地区であるが、このあたりは山に海岸線が迫っており、そこへ農業を生業としない(農地をあまり必要としない)漁業民が軒を連ねてきた。山が迫った土地は海岸線に岩礁があり、港湾地としても漁場としても使いやすいのである。しかし家屋の密集した集落は火事には弱く、一度火が回ると海風と山風にあおられてすぐに大火となってしまう。

 そのため横須賀市長井や佐島など海岸沿いの町には火事伝承が多く伝わっており、火防の神を祀る所が多い。一方、こうした地形が故郷と似たのか、紀州熊野の漁業者が移民をしたという話も多く伝わっている。
 しばし参拝。以外に小さな神社だなぁというのが最初の印象であったが、社殿脇の大木や苔むした境内の石祠を見ると歴史を感じさせる。正月なので提灯の飾り付けがしてあった。

 真名瀬は三ヶ岡山という山が東にそびえ、西側が海となっている。三ヶ岡山にはハイキングコースがあり、熊野神社の脇が入り口のひとつとなっている。この山、別称を大峰山という。海側に熊野神社があるということは…山側に吉野の蔵王権現が、と思ったが、特にない様である。

境内のハイキングコースの案内板
境内のハイキングコースの案内板

 毎年、五月十五日には例祭には神楽が行われる。毎年不思議にも雨が降り、「雨は火を防ぐ」ということから晴れるよりも縁起がよいと言われている。この神楽も熊野からの移住者が始めたものと言う人もいる。
 境内には本殿脇の大漁稲荷社や多数の石祠、真名瀬会館などがある。大漁稲荷には漁業に携わる人々の守護神として文化年間に創建された旨を示す棟札があるという。

 熊野神社を辞して海側へ戻り、森戸大明神へ。神社の由緒等は先の通りであるが、初詣に訪れた人々がたくさん居られた。千貫松や境内の水天宮、おせき稲荷などの摂社を拝み、お札をいただいてきた。
 真名瀬の熊野神社は森戸大明神との関わりも深く、「九月七・八日」の森戸大明神の祭礼にも真名瀬地区からも大きな神輿が出るという。この際、「甚句」という歌もうたわれ、大変にぎやかな祭りであるという。
 森戸大明神を出て真名瀬のバス停へ戻る。曇っていたが夕日が綺麗であった。

(日照院さん)

No.212

この熊野神社はTATSUさんからもご投稿をいただいています。TATSUさんの参詣記はこちら

2004.3.20 UP
2020.7.10 更新

参考文献



神奈川県三浦郡葉山町一色

読み方:かながわけん みうらぐん はやままち いっしき

郵便番号:〒240-0111

葉山町HP

葉山町 - Wikipedia
葉山町(はやままち)は、神奈川県の三浦半島西部に位置する町である。現在三浦郡に属する唯一の自治体となっている。