第21代熊野別当・湛増の勧請と伝わる熊野神社
数年前の国道56号線の改良工事によって、参道入口が変更になったようで、上と下の2箇所あります。
下入口
下入口にある由緒書きより
約八〇〇年前源平戦乱の後弁慶の父湛増は、紀州田辺から舟で熊野浦に上陸。
文治二年(西暦1186年)に熊井に移り住み法泉寺山に熊野三所権現を鎮座する。
例祭は現在7月15日と11月1日 に行われ、特に秋祭りは 盛大で、神に作物の豊かな実りを感謝して、おなばれ、神輿もどし、花取り踊りが披露され一日中にぎわう。
上入口
上入口にある石碑には
伊與喜郷総鎮守
祭神:伊邪那岐命,伊邪那美命,須佐之男命
寿永年間 源平戦乱の後 弁慶の父別当田辺湛増は紀州より舟で熊野浦に上陸
文治二年末 熊居に移り 熊野三所権現を鎮座する
とあります。
上入口の前には国道56号線が走り、改良工事によって架けられた橋は、「熊野権現橋」と名づけられています。
参道は草や枯れ枝がいっぱいで、社殿も寂れていました。
床下には、月面のようなクレーター?が無数、アリジゴクの穴です。
(マサやんさん)
No.730
2007.7.30 UP
2021.8.29 更新