戦国武将・長宗我部氏による建立と伝わる熊野神社
境内の碑によれば、地元の戦国武将・長宗我部氏が出陣の際に、勝利を願って建立した。
当初は、石段が、熊野神社を真似て「乱築構造」だったが、参詣者が難儀するので、第二次大戦後に通常の石段に造りかえられた。(一部に昔の面影を残す)
本殿の手摺がステンレスなのに驚きました。
「大埆(おおそね)」の「埆」は、石の多い痩せた土地という意味です。
もともと、南国市のこの辺りは「後免町」という名の町でしたが、昭和の合併で「南国市」になりました。
その「後免」という名の起源ですが、藩政時代に遡ります。この周辺は石や岩の多い荒れた土地で、開墾する者がいなかったため、当時の為政者が「開発したものには、そこにかかる税金免除する。税金は御免じゃ」ということで開墾が始まり、やがて大きな集落へ発展していったとか。そして、「御免」がいつの間にか「後免」になったということです。
(マサやんさん)
No.664
2007.2.6 UP
2021.8.31 更新