篠町王子、鎌倉時代に熊野若一王子を勧請
祭神
伊弉諾尊、伊弉冊尊
例祭
本社10月25日、天満宮8月25日、稲荷社11月3日
旧社格
村社
御由緒
境内の案内板より。
右、二柱の大神は神代の昔、最初にお現れになった夫婦神で、天照大神をお生みになった国生みの神様である。
伊勢神宮の御親神として延命長寿、夫婦和合、縁結びの神として尊崇される。往古は境内広大にして、闇宮(くらがりのみや)と呼ばれ、峠神として街道を往還する旅人等が行旅の安全を祈願した。
現存する菩薩行神像は著名で、鎌倉期の熊野信仰の影響を物語るものと考えられる。
寛延三年(1750年)後水尾院勅願の天神様を祀る境内社天満宮が造営され、五穀豊穣、家内安全の神として信仰を集め、王子天満宮と呼ばれた。
「丹波の神社」というサイトのこちらのページでは、「鎌倉時代に熊野若一王子を勧請した」とあり、また王子権現とは雄略天皇の時代の木梨軽皇子のことであるという異伝もある、と紹介されています(この辺りには木梨軽皇子の伝説が残っている様です)。
旧山陰道沿いにあり、山城と丹波の国境であった老ノ坂峠を京都側から越えてくると、まず迎えてくれるのがこの神社である。
創建時期は不明だそうだ が、亀岡の玄関口といってもいい場所に鎮座しており、由緒書に書かれた峠神という表現がしっくりくる。
石造の明神鳥居を抜けると拝殿を挟んで流造の本殿が鎮座しているが、この本殿は境内の前を通る旧山陰道に対して垂直に向いているため、珍しい北東向きの本殿となっている。
はっきりとした理由は分からないが、これも街道を行き交う人々を見守る峠神だからであろうか。
境内はそれほど広いわけではないものの、落ち着いた風情がある。
周りは水田と民家に囲まれており、闇宮と呼ばれたほどの往古の鬱蒼とした雰囲気は今ではあまり感じることはできないが、亀岡の名木に指定されている本殿横にそびえ立つツブラジイの大木は見事である(近くの篠村八幡宮にも同じくツブラジイの大木がある)。
その大木のさらに隣には境内社が並んでいる。
それぞれ天満宮と稲荷社、そして祭神不明の小祠が二社であった。
(毛虫6号さん)
No.1582
2012.5.29 UP
2020.7.15 更新