先日淀城址に訪れた時に二の丸跡にある小さな社をのぞくと三柱の神さんを祀られていました。
丁重に掃除などされている様子で、一つは熊野大神宮の神名がちょうちんに書かれていましたが
御由緒などはわかりませんでした。
稲荷大明神、日吉大明神、熊野大神宮とあります。
淀城址には与杼神社が鎮座していました。
この神社は明治35年にこの地に遷座するまで桂川の河川敷に鎮座しておられたようです。
熊野大神宮が与杼神社の末社か何かでついてこられたのか?
もともと淀城で祀られていたのか解りませんでした。
城跡にいた物知りおじさんの話では、与杼神社は産土神で今でも道中安全を祈願するとの事でした。
地理的に三川が合流する地点でもありますし、2kmほど南の八幡からは東高野街道が始まっています。
淀川舟運で財をなした前期淀屋が奉納した手水があったりするので、城南宮・淀川道中祈願・熊野詣安全祈願、つながりでしょうね。
後日、確認したところ僕が見たのは稲葉神社の末社とわかりました。
社名から判断するに稲葉家の家祖を祀る神社のようですね。
国替えの時に持ち込まれたのか?時間の経過で集まって来たのか?
(日吉大社・伏見稲荷・新熊野神社の近さからすると集まったのかも?)
想像すると面白いですね。
(Romiさん)
No.1220
2010.3.12 UP
2010.4.1 更新
2020.7.16 更新