海賊藤原純友の弟・純索が熊野権現を勧請したのが始まりと伝わる
旧船井郡園部町大河内
京都の丹波地方を旅していた際に
国の重要文化財の本殿があるということで大山祇神社を訪ねました
大山祇神社ですので祭神は大山祇神であろうと思っていたのですが
境内の由緒を読んでみたところ祭神はなんと
熊野夫須美大神・家都御子大神・御子速玉大神
熊野権現が勧請された神社だったんです
少なからず驚かされました
国の重要文化財の本殿は屋根付きの板囲いに囲まれています
祭神については、素盞男命・伊邪那岐命・伊邪那美命の三柱としている資料もあります
別の資料では熊野三所権現のほかに産神金峰蔵王権現・祗園牛頭天王・豊浦大神・河内大神(=楠木正成)を祭神とするとあります
ちなみに大山祇神社という名前は明治の神名調査に際して名乗ったものでそれまでは開明山田大神社と呼んだそうです
朝敵であった東国の平将門・西国の藤原純友(ふじわらのすみとも)
その藤原純友の弟である純索(すみもと)が熊野三所権現を勧請したのが始まりであるとのこと
(幽黙さん)
No.723
幽黙さんのブログ「久延毘古 独言」の「京都紀行 大山祇神社 2007/07/07」のページより画像及び文章を転載させていただきました。ありがとうございます。幽黙さんのページではもっと多くの画像、文章が掲載されています。
2007.7.19 UP
2020.7.16 更新