熊野神の降臨地
旧・南牟婁郡鵜殿村貴祢谷
(矢渕中学校裏)
御由緒
神代の頃に新宮の神倉山にお降りになった熊野神が約2500年前にここにお移りになり始めは速玉大神、夫須美大神、家津御子大神の三柱の神を二つの社殿に祀り約2000年前に石渕の祭神の内 家津御子大神が本宮へ移られ約1900年前に石渕の熊野神が新宮へお移りになった。この時に鵜殿諸手船(もろたぶね)神船を先導し奉ったことが伝えられている(熊野権現御垂迹縁起、帝王編年記、扶桑略記)
このように御由緒から千数百年このかた私たちの生活の中に精神的なよりどころとして代々の人々の崇敬を*受けつがれている。 又境内からは古墳時代末期(約1500年前)から鎌倉時代(約700年前)頃までの崇神用の古い土器も出土し熊野地方とくに鵜殿村にとっては神倉山に次ぐ古い祭祀遺跡で最も貴重な文化財である。
昭和54年4月吉日 貴祢谷社保存会(境内案内板より)
*印は文字が判読できませんでした
「港のある日本一小さい村」として有名な鵜殿村の矢渕中学校の裏手にある道をしばらく歩くと、樹木に囲まれた中に貴祢谷社はあります。そのすぐ脇には中世にこの地域を治めた鵜殿氏一門の墓石群もあり、参道は森林浴しながら歴史を学べる散歩道、といったかんじになっています。
御祭神は速玉大神、夫須美大神、家津御子大神の、熊野三神がお祀りされています。御神徳は現世安穏(家内安全)、縁結び、樹木食物の守護等。
熊野の神は諸国を巡って熊野の地に光臨されたといわれていますが、この貴祢谷社もそういった伝承に関わる御社のひとつです。 「熊野年代記」安寧十八年の記述に、切目(※現和歌山県日高郡印南町切目)の後に新宮の神倉に神が光臨され、六十年鎮座されてから貴祢谷に勧請されたという内容の一文があります。現地の案内板によると熊野の神様は、ここから本宮と新宮にお移りになられたと伝えられています。
(そま)
No.198
2003.11.26 UP
2020.6.8 更新