この地に漂着した熊野の漁師夫婦により勧請された熊野神社
長崎県の野母(ノモ)町に祀られている熊野神社に参拝させて頂きましたので記事をUPさせて頂きます。
※こちらは野母崎郵便局近くの熊野神社です。地図を見直しましたら、野母崎樺島町の樺島郵便局の東側にも熊野神社が祀られているようです。
野母崎の漁協会館様・直売所辺りから小山の頂上に熊野神社?と思われる社殿を確認。
熊野神社参道入り口、塞神神社とのこと。
熊野神社鳥居。
熊野神社境内からの眺望
野母町は陸繋島の地形のようです。
なお、右奥の島が野母崎樺島町と思われます。(長崎半島とは橋で繋がっています)(行者山の地名あり)
手水舎
狛犬 右
狛犬 左
熊野神社の社殿
以下、現地案内板より。
「野母」の由来と熊野神社 (長崎さるく)
紀州熊野の漁師夫婦漂着後の斉明4年(658年)、現在地に熊野神社が祀られました。
野母浦祭り(のもうらまつり)は和銅3年(710年)、野母の開祖である老母を讃えるために始まった盆祭りで、毎年8月13日に奉納されます。
野母の地名の由来には諸説ありますが、この熊野神社の縁起によると、無人の野っ原に老母が住居を構え村落をなしたので、この老母の功績を後世に伝えようと、"野の母"で野母と名付けられたといわれています。
The origins of Nomo and Kumano Shrine
After a fisherman and his wife drifted ashore in Kumano in Kishuu, today's Wakayama Prefecture, they thanked the god of Kumano Shrine in their hometown for saving their lives by building the Kumano Shrine in 658. Up until the Meiji Restoration (1867), the shrine saw a mixture of Shinto and Buddhist practices and it is said that Amitabha Tathagata was enshrined here.
Nomo'ura Festival started in 710 in order to honour the elderly lady who founded Nomo. The festival is an O-bon festival which takes place every year on August 13.
Opinion is divided about the roots of the place name Nomo but according to the tale of Kumano Shrine, the village was established when an old lady built a house on these deserted plains. In order to teach future generations about her achievements, they called the village Nomo (野母) taken from the phrase "No-no-haha"(野の母)or "the mother of the plains".
案内板設置に感謝致します。
参拝後、鳥居を出て右側の坂を降りてきたのですが、車道に出た時の正面の景色が上の写真です。
地図によりますと、こちらの方角に権現山の地名があるようです。
☆野母崎は、長崎観光『長崎さるく』(さるくは、街をぶらぶら歩くという意味の長崎弁とのこと)サイトでも紹介されているのですが、靜かな海辺の町ですので、特に路地などではマナーを守り静かに散策させて頂いて下さい。ご協力の程宜しくお願い申し上げます。
(瀬音さん)
No.1800
(てつによる追記)
平安時代に熊野の漁師夫婦がこの地に漂着し、その夫婦により野母の地は開かれたそうです。
熊野の漁師夫婦は熊野神の加護に感謝し、斉明4年(658年)に自宅近くの丘に熊野神社を勧請。
2015.10.31 UP
2021.3.22 更新