(奈良県北葛城郡広陵町弁財天字池田割)
天供祭(てんごくさい)
1月第2日曜 (これまで1月15日であったのを変更、アマテラスオオミカミにお餅を供える御祭り)
例祭
9月15日
みえこさんに御案内いただいて広陵町の櫛玉姫命神社近隣の細い路地をぐるぐる探していると、弁財天字池田割の民家の間に熊野神社はありました。御社のお掃除をされている御近所の方にお話しをうかがい、御社の扉を開けて中の祠と棟札を拝見させていただきました。
神事は近隣の櫛玉比女命神社の神職さんが担当されているとのことで櫛玉比女命神社で神職さんにお話しをうかがうと、主祭神は速之男命(スサノオノミコト)、広陵町史の記載とは異なりますが御祭神の表記は年代によって違ったりもするので、速之男命(スサノオノミコト)だった時代もあったのかもしれません。そしてこちらの熊野神社を御祀りされているのは「初王講」の方々で(初王とはスサノオノミコトのこと)創建は不祥、江戸時代に大火があって火防に空けていた空間に勧請され、おそらく速玉大社から勧請されたのではないかとのお話しを伺いました。お話しを聞かせていただいた皆様、ありがとうございました。
御社の中の祠
熊野神社棟札
寛政○○年 中川
大櫛玉八皇子御殿一建
二月十七日
あとは文字が消えていて判別できませんでした。
熊野神社 弁財天(字池田割)
祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊。明治二年(一八六九)の「氏子郷中兼帯村々神社遷宮諸事控」(河合町・広瀬神社所蔵文書)には、
例年八月十五日神事
産神
一八神殿二座 祭神 伊弉諾尊
同 伊弉冉命
右八月十七日 改遷宮とあり、この社が弁財天村の氏神とされる。
明治十二年(一八七九)の「神社明細帳」(奈良図書館所蔵)では
桁行一尺六寸・梁行一尺二寸五分の本殿と一間三社四方の拝殿が記載される。
ただ、貞享三年(一六八六)の「弁財天村鑑」(史料編下巻八一八項)や享保九年(一七二四)の「和州御領郷艦」には一切現れないし、明治十二年「神社明細帳」の信徒数もわずか四人となっているので、村に所属するというよりむしろ個人的な信仰を集めていた神社であろう。(出典:広陵町史)
(資料提供・みえこさん 画像・文・そま)
No.184
2003.6.23UP
2021.3.22 更新
参考文献
- 『広陵町史』