當麻寺開創のとき役行者が熊野権現を勧請
當麻寺中之坊境内社・龍王社(りゅうおうしゃ)
當麻寺は、二上山の麓に位置する、中将姫の伝承で知られる「當麻曼荼羅」を信仰の中心とする寺院である。浄土教が広がりをみせた平安時代、雄岳・雌岳二つの峰の間に夕陽が沈む二上山は、死者の魂が赴く西方極楽浄土の入口とされた。この寺院の最古の塔頭(たっちゅう)が「中之坊」といわれている。
中之坊でいただいた由緒書きによると、「當麻寺が開創された際、役行者は金堂前(影向石)にて熊野権現を勧請し、その出現した場所に自身の道場を開いた。(中略)これが現在の「中之坊」である。」とある。
また、境内の「龍王社」の看板には、「熊野権現/二上権現 飛鳥時代、役行者が熊野より勧請した白竜大神を祀る。また、江戸時代まで中之坊が祭祀していた二上山の龍神を合祀する。」とある。お社の傍らには、熊野権現の御神木である梛の木がある。
當麻寺本堂
した した した。…というフレーズが印象的な幻想小説が、釈迢空こと折口信夫(1887〜1953)の『死者の書』である。この小説は、当地を舞台としている。折口は、大阪府第五中学校(後の天王寺中学)卒業する頃(1905)に、中之坊に滞在していた。彼は中学校時代に自殺未遂を繰り返していた。そんな彼の『山越阿弥陀図』が坐す西方極楽浄土-他界への強い憧れがみられる当書は、大変興味深い。
『山越阿弥陀図』(大倉集古館) 折口信夫『死者の書』のモデル
修験(役行者)・西方極楽浄土・他界・阿弥陀如来…、熊野を感じさせる寺院である。閉門間近の参詣で慌てており、金堂前の影向石の写真撮影を失念した。
(とある神主さん)
No.1807
2016.8.29 UP
2020.7.10 更新
参考文献