(旧北葛城郡新庄町山田)
祭神および社名が変化している。
江戸時代には日吉権現とよばれたが(寛政五年正月」郷内小宮遷宮定書」笛吹・持田篤文文書)明治三年(1870)には熊野祠と称され、祭神は大山咋命・伊弉冊命・宇賀御魂命の三神であった(「和州忍海郡笛吹社氏子農枝社御神名并社記録」笛吹・持田篤文文書)。
同七年になると、社名は熊野祠のままだが祭神は伊弉冊命一神になった(「郷村社取調帳」奈良図書館所蔵文書)。
そして、明治十二年には社名が三神社とかわり、祭神も大山咋命・伊弉冊命の明治三年時の二神に、あらたに豊受姫命が加わり三神となった。
境内社に稲荷神社が書き上げられているが、宇賀御魂命は姿を消してしまった。(「神社明細帳」奈良図書館所蔵文書)。(新庄市史より)
神社に着きまして、お参りしようとするととても地元のおばさん達に怪訝な顔で見られました。
...((((( ̄‥ ̄;) マ、マズイと思い、
「こんにちは、こちらは熊野ぢゃなかった…山田の三神社ですよね?」と尋ねてみると、
「さあ?ここは、氏神さんやで~」ですと。
別の方に「こっちはお不動さんで、こっちはお稲荷さん」
また「三神社というのでは、、、?」としつこく尋ねますと
「氏神さんは、氏神さんやで」とのお返事。
「なあ!?」と言いながらおばさんは、社務所の奥をがらっと開けると、あれ吃驚。
社務所の中で寄合の最中でした。
しばし、神社の名前でスッタモンダがありまして。
「笛吹さんに聞いてみてください。わたしらはわかりません」とのお返事でした。
この辺り一帯の統括は笛吹神社なのです。
故にご祭神の確認等も取れませんでしたが…。
しかし、こちら新庄町山田には、神社が一社しかなく、
間違いなく「三神社」と思われます。( ̄∇ ̄;)
三神社入り口鳥居の右側に「故西川タツ刀自之碑」というのがありまして。
刀自とは…
とじ【刀自】
(トヌシ(戸主)の約。「刀自」は万葉仮名)
1.家事をつかさどる婦人。主婦。とうじ。万二○「いませ母―面(オメ)変りせず」
2.年老いた女。老女。接尾語的にも用いる。宇治拾遺三「女―は耄(オ)いて雀かはるる」
3.貴婦人の尊敬語。欽明紀「青海夫人(オオトジ)」
4.禁中の御厨子所(ミズシドコロ)・台盤所(ダイバンドコロ)・内侍所(ナイシドコロ)に奉仕した女房。下臈(ゲロウ)の女官。
5.他人に仕えて家事をつかさどる婦人。いえとうじ。栄華若枝「宮々の―専女
(オサメ)にても」【広辞苑】
だそうですが、寄合でお会いしたおばさん達となんか…シンクロするところありました。
「氏神さん、氏神さん」といって大事にされて…。(*^_^*)
ではでは。
摂社
碑
白玉大神
白光大神
(みえこさん)
No.134
2002.5.13 UP
2020.7.10 更新
参考文献
- 『新庄市史』