順徳天皇が尊崇したとされる熊野神社
(旧佐渡郡畑野町大字畑野字甲205)
御祭神:櫛御気野命
神社の向き:南から30度西
拝殿
港で買った地図には畑野町に熊野社と書いてあったのでそれを目指して行くと、そこは田んぼの中でなにもありません。実はその位置は台風で社殿が倒壊するまでの旧社地の位置(畑野町下畑)だったようです。神社跡の石碑があるようですが見つけられませんでした。
本殿
『日本の神々 第8巻 北陸編』(白水社)によると、「この熊野神社は「紀州系で物部氏の社より発達なるべし」とあります。創立は霊亀二年(716年)2月だそうです。
境内には昭和31年8月の遷宮の記念碑や、屋根が危なそうな土俵や畑野町天然記念物の「何代の梅」や生ける化石「メタセコイヤ」の大木が見られます。
遷宮記念の碑
何代の梅
メタセコイヤ
御祭神が「櫛御気野命」様ということで、出羽三山の月山神社の御室、湯殿山神社の末社の中にある熊野神社と同じ御祭神です。なにやら日本海沿いの深いつながりを感ぜずにはいられません。櫛御気野命様?でも紀州系?うーんと悩んでしまいました。
(山濱さん)
No.90
(そまによる追記)
私が伺ったのは平成24年10月8日でした。ご近所の方に道をお尋ねしたら、今日も散歩に行ったんだけどもうすぐお祭りだから準備に人が集まっていましたよ、と仰っていました。1週間後の10月15日がお祭りだったようです。
ぐるぐる迷ってしまったのでもう1人ご高齢の方に道をお尋ねしたら、語尾が「だっちゃ」になっていて、佐渡らしい方言を聞けて嬉しく思いました。
ようやく神社に辿り着くと、拝殿には以下のように書かれた額がありました。
熊野神社
由緒 霊亀二年(七一六)二月創立の社伝あり
祭神 櫛御気野命
「くし」は「奇し」で霊妙不思議を表し「みけ」は「御食」で食物神、霊験あらたかな五穀豊穣の農耕神という合祀 白山神社 旧字名 安国寺村 祭神 菊理姫命
合祀 諏訪神社(境内社) 祭神 建御名方命
合祀 天神社(境内社)畑野 熊野神社は順徳天皇が深く崇められた社でその御製が伝えられている
雲の上の月日隔てて 三熊野も くまなき影は かはらざりけ
「図説佐渡島歴史散歩」(河出書房新社刊 財団法人佐渡博物館監修)51ページには「波多熊野権現 徳治3年創建の神社といい、昭和31年に現地に遷された。中世から宮座により祭りが運営され、流鏑馬なども行われていた。」とあり、熊野神社遺蹟(旧社地の石碑。波多は旧畑野町下畑のようです)や祭の流鏑馬に使用された天文年間の鞍橋(クラボネ)の写真が掲載されています。
佐渡市の文化財・鞍一背
(くらひとせ)
創建の年代が熊野神社拝殿の額の文と「佐渡島歴史散歩」で異なる記述をしていますが、元々は出雲系熊野神社の神・櫛御気野命が霊亀年間に勧請され、そこに徳治年間に熊野権現が紀州から勧請され、習合したとみるべきでしょうか。
畑野祭り(畑野熊野神社例大祭)の動画(Youtube)
https://www.youtube.com/watch?v=LKyQRdPT-us
道を案内して下さった佐渡の皆様、有難うございました。
2001.8.5 UP
2012.11.1 そま追記
2020.4.18 更新
参考文献
- 財団法人佐渡博物館監修『図説佐渡島歴史散歩』河出書房新社