平安後期作の日本最大級の磨崖仏、熊野磨崖仏
今熊野祈願所胎蔵寺(大分県豊後高田市)
今熊野山胎蔵寺から熊野磨崖仏までは徒歩15分ほどです。胎蔵寺の横から山道に入り、鬼が一夜にして積み上げたという伝わる石段を登ると、国の重要文化財及び史跡に指定されている日本最大級の磨崖仏「熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ)」にたどり着き、そこからさらに石段を2〜3分登ると熊野神社があります。
胎蔵寺 仁王像
参道 献穀田跡
熊野神社鳥居
赤鬼が一夜で積んだという石段
赤鬼が築いた熊野神社への石段
赤鬼が築いた九十九の石段の話 現地案内板より (胎蔵寺駐車場内)
昔、昔のお話です。
この田染の里に、毛むくじゃらの赤鬼がやってきて、人間を食べるというのです。
それを聞いた熊野の権現様は、何か良い方法はないかと考えました。
そして、いち夜のうちに百の石段をこしらえたら許してやろうと約束したのです。権現様は、とうていできるはずはないと思っていたのですが、なんと赤鬼は、ひょいひょいと石を担いで、あっという間に五十段をこしらえました。
その早いこと早いこと、みるみるうちに九十九段築いたのでした。おどろいた権現様は、百段目の石を担いだ赤鬼の足が山かげに見えたとき、「コケコッコー」と、にわとりの鳴き声を真似したのでした。
赤鬼は、「負けたあ」と最後の石を担いだまま逃げ出していったそうです。熊野山胎蔵寺(くまのさんたいぞうじ)から磨崖仏を通って熊野権現様まで続いている石段は、この赤鬼が築いた石段といわれ、今でも多くの人々に親しまれています。
熊野磨崖仏
熊野磨崖仏 現地案内板より
一、所在地 豊後高田市大字平野字登尺
一、国史跡指定 昭和30年2月15日
一、国重要文化財指定 昭和39年5月26日
一、解説
大岩に刻まれた仏は向かって右が大日如来、左が不動明王で、熊野磨崖仏と呼ばれている。大日如来は、6.8メートル、如来にふさわしい丹精な顔形で、頭部上方には三面の種子曼荼羅(しゅしまんだら)が刻まれている。
不動明王は、8メートル、憤怒相ではなく、柔和な慈悲相であるのは、他の石仏にみられない珍しい例である。
六郷満山諸勤行(しょごんぎょ)注進目録や華頂要略などにより、磨崖仏は藤原時代末期(約900年前)の作と推定されている。
厚肉彫りの雄大、荘厳な磨崖仏であるため国指定史跡でありながら、美術工芸品としての価値が高いものとして国の重要文化財指定を併せ受けたものである。
伝説では、磨崖仏は養老2年(718年)仁聞菩薩(にんもんぼさつ)が設立したと伝えられ、近くの山中には御所帯場(ごしょたいば)と呼ばれる作業時の宿泊跡がある。
また参道の自然石の乱積石段は鬼が一夜で築いたと伝えられる。
熊野磨崖仏管理委員会
宗教法人熊野社
案内板の設置に感謝致します。
不動明王
大日如来
熊野神社 御拝殿
熊野神社 御本殿側の様子
(瀬音さん)
No.1803
2016.3.8 UP
2020.11.7 更新