宮古総鎮守
遙か離れた熊野から、沖縄県那覇市の波上宮を経て勧請されたとのことで、宮古島訪問の際には、ぜひお参りをさせて頂きたいと思っていました。
現地を訪れてみた印象は、赤瓦のお社が南国独特の雰囲気を漂わせ、本土の神社とは趣の異なるものでした。
一般的に境内は玉石が敷かれていることが多いですが、多分冬枯することの無いであろうグリーン色の芝生も初めて見るものでした。
社務所に詰めておられた神主様にもご挨拶させていただき、「和歌山県の出身で、那智の滝がある熊野那智大社にもよくお参りさせて頂いていました」とお伝えしたところ、少し驚かれたご様子で、「熊野には1度行ってみたいと思っているんですよ」とおっしゃられたので、私からも「ぜひご訪問ください」とお誘いしました。
御嶽信仰の地に熊野の神を祀ることの歴史的背景は分かりかねますが、勧請後、永く大切にお守り下さっている宮古島の皆様に感謝させて頂きたいと思います。
場所は平良港からもほど近い、張水御嶽の向かい側の丘の上にあり、駐車場も設けられています。
本殿の写真を撮り忘れてしまったため、「伊良部日記」様からご提供頂きました。
(2013年1月16日参詣)
宮古熊野三所権現鎮座之地の碑
明治初期の頃の風景(宮原昌茂氏の回想画)
史跡・張水石畳道の案内板より
(※蔵元=旧幕藩時代の政庁)
案内書より
祭神(主神六柱)
熊野三神・波上宮より勧請
速玉男尊 はやたまをのみこと(清浄の得を司る神・豊年豊漁の神)
伊弉冉尊 いざなみのみこと (天照大神の母神・国土五穀生みの神)
事解男尊 ことさかをのみこと(平和守護の神)豊見親三神・旧町社 宮古神社の祭神
目黒盛定政命 めぐろもりていせい(宮古統一の祖)
与那覇恵源命 よなはけいげん (宮古開基の祖)
仲宗根玄雅命 なかそねげんが (宮古中興の英王)別鎮斎
竈三柱神 かまどみはしらのかみ(火神)ひのかみ由緒
天正十八年(1590)平良大首里大屋子(地頭職)平良(名・要宇か)が、
海難漂流するも九死に一生を得て八年後に帰国す。
これ皆故国の神々のお陰と琉球第一の宮・波上宮の神々を宮古に勧請す。(由来記)慶長十六年(1611)薩州の検地使の上奏により、琉球王朝は瓦葺きの
立派な宮とし「宮古熊野三所大権現」の称号が贈らる。大正十四年 豊見親二神を祀る町社創建。
昭和十五年 紀元2600年を期し、この両社合祀の県社建立を全島挙げて決議。
昭和十九年六月 遷座・奉祝祭(県社の内達)。
昭和二〇年 被弾、終戦。
昭和三一年 目黒盛豊見親が増祀さる。
昭和五十五年十一月 宮古神社復興工事竣工。
平成二十二年 平成の本格的造営竣工す。
(瀬音さん)
No.1689
2013.2.21 UP
2020.2.1 更新